Blue Christmas (ブルークリスマス:寂寞的聖誕節)
Blue Christmas (ブルークリスマス:寂寞的聖誕節)は、アメリカの音楽家ビリー・ヘイズ(Billy Hayes)とジェイW・ジョンソン(Jay W. Johnson)が共同で制作した楽曲です。 この楽曲は、1948年にアメリカのカントリー歌手ドーイ・オデル (Doye O'... 続きをみる
伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。
Blue Christmas (ブルークリスマス:寂寞的聖誕節)は、アメリカの音楽家ビリー・ヘイズ(Billy Hayes)とジェイW・ジョンソン(Jay W. Johnson)が共同で制作した楽曲です。 この楽曲は、1948年にアメリカのカントリー歌手ドーイ・オデル (Doye O'... 続きをみる
「Changing partners」(チェインジング パートナーズ:交換舞伴)は、アメリカの女歌手パティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)が、1953年9月21日に録音して、同年11月28日に発表した楽曲です。... 続きをみる
【アメリカ同時多発テロでのユナイテッド93便の墜落現場に設置された仮設の追悼碑】 (碑文の表題は「Angels of Freedom(自由の天使たち)」と記されている。) "Little Did She Know" (彼女には知る由もなかった)は、アメリカのシンガーソング... 続きをみる
「Rhythm Of The Rain」(邦題: 悲しき雨音)は、アメリカの音楽バンドの ザ・カスケーズ (The Cascades)が、1962年11月に発表した楽曲です。 作詞・作曲は、カスケーズのメンバーであるジョン・クラウド・ガモー(John Claude Gummoe)が... 続きをみる
「We Are The World 2020(ウィ・アー・ザ・ワールド2020) - The Quarantine Mix, Long Island(隔離編集、ロングアイランド)」は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランド島在住の音楽家70人が、WEB会議の要領で、それぞれの自宅で自分のパ... 続きをみる
「You Raise Me Up」(あなたが私を奮い立たせる)という楽曲は、作曲はノルウェーのロルフ・ラヴランド(Rolf Løvland, 1955年4月19日 - )、作詞はアイルランドのブレンダン・グラハム(Brendan Graham, 1945年ー)が担当し、2002年3... 続きをみる
【クリスマスⓒmomoと糸】 「All Alone on Christmas」(一人ぼっちのクリスマス)は、1992年11月20日 に公開されたアメリカのコメディ映画『ホーム・アローン2』(ホーム・アローンツー、原題:Home Alone 2: Lost in New York)の主題歌として、... 続きをみる
「CHRISTMAS EVE」(クリスマス イブ)は、日本のシンガーソングライター山下達郎(やました たつろう、1953年2月4日 - )が、1993年11月18日にクリスマス・ソングとアメリカン・スタンダード・ナンバー全15曲を収録して発表したアルバム『SEASON'S GREETIN... 続きをみる
「Rockin' Alone (In An Old Rockin' Chair)」〔古いロッキングチェアーの中で独り寂しく揺られて〕は、ニュージランドのカントリーウェスタン歌手テックス・モートン(Tex Morton, 別名:Robert Tex Morton、実名: Rober... 続きをみる
【讃美歌第二百四十三 「たふときわが友」(左頁)】 今回は、前回ご紹介した「Molly Darling(愛しのモーリー:茉莉親愛的)」と曲調が似ているためしばしば混同される「たふときわが友」(別題:「いつくしみ深き)」(いつくしみふかき、原題: What A Friend We Have... 続きをみる
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「One Moment In Time(一瞬の勝機)」は、アメリカの放送局“NBCスポーツ”が、1988年の京城夏季オリンピック中継のテーマソングとして製作した楽曲で企画アルバム『1988 Summer Olympics Album: One Moment in Time... 続きをみる
「盼與寄」(パン ユー ジー:望むことと送ること)は、台灣の歌手潘安邦(パン・アンバン、1954年9月10日ー2013年2月3日)が1981年7月に発表した自身4枚目となるアルバム〈回家〉の4 曲目に収録している楽曲で、蔡琴(ツァイ・チン、1957年12月22日-)とのデュエット曲です。 この... 続きをみる
「虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow:在彩虹彼端)」は、アメリカ合衆国の女優、歌手であったジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922年6月10日 - 1969年6月22日)が、1939年8月25日に公開されたミュージカル映画『オズの魔法使』(オズのまほ... 続きをみる
「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」〔英語: Happy Xmas (War Is Over)〕は、1971年12月1日にアメリカで発表されたジョン・レノン&オノ・ヨーコの楽曲です。 この楽曲はベトナム戦争への反戦歌として作られました。 そのコンセプトは、楽曲発表の2年前の19... 続きをみる
「You Raise Me Up(あなたが私を勇気づける)」という楽曲は、作曲はノルウェーのロルフ・ラヴランド(Rolf Løvland, 1955年4月19日 - )、作詞はアイルランドのブレンダン・グラハム(Brendan Graham, 1945年ー)が担当し、2002年3月... 続きをみる
「星に願いを(當你對著星星許願)」は、1940年のディズニー映画『ピノキオ』の主題歌として、ピノキオの「良心」であるジミニー・クリケット(コオロギ)が歌った楽曲です。 この楽曲は、作詞はネッド・ワシントン (Ned Washington, 1901年8月15日~1976年12月20日) 、作曲... 続きをみる
「Stand by Me (傍にいてくれ:站在我身邊)」は、アメリカのR&B歌手ベン・E・キング(Benjamin Earl King、本名Benjamin Earl Nelson、1938年9月28日 - 2015年4月30日)が1961年11月に発表した楽曲です。 作詞・作曲はベン... 続きをみる
"What a Wonderful World" (この素晴らしき世界:多美好的世界)は、アメリカのジャズミュージシャンのルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901年8月4日 - 1971年7月6日)が、1967年に発表した楽曲です。 作詞・作曲は、... 続きをみる
「テネシーワルツ」(Tennessee Waltz,The Tennessee Waltz:カバー版では既に周知の曲であることから定冠詞を付けているものも有る)は、アメリカのカントリーソングバンドであるゴールデン・ウエスト・カウボーイズ(正式表示は、Pee Wee King & His ... 続きをみる
Take Me Home, Country Roads(我が家へ導きたまえ、故郷の道よ:請帶我回家 , 鄉村道路)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターのジョン・デンバー(John Denver、1943年12月31日 - 1997年10月12日)が、1971年4月に発表した楽曲です。 ... 続きをみる
【映画『ティファニーで朝食を』のオープニング・シーン】 『ムーン・リバー』(Moon River)は、1961年10月5日に公開されたアメリカ映画「ティファニーで朝食を」(Breakfast at Tiffany's)の主題歌となった楽曲です。 映画の題に見える「ティファニー」とは、... 続きをみる
Amazing Grace(アメイジング・グレイス:驚くべき恩寵:天賜恩寵/奇異恩典)は、イギリスの牧師ジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)が、1772年に作詞した賛美歌です。 "amazing"とは「驚くべき」「素晴らしき」の意で... 続きをみる
「More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」は、米国の歌手バディ・ホリー(Buddy Holly、1936年9月7日 - 1959年2月3日)が1959年の年頭に録音し、彼が同年2月に飛行機事故で死去した翌年1960年4月5日に彼のバンドのザ・クリケッツの名義... 続きをみる
「More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」は、米国の歌手バディ・ホリー(Buddy Holly、1936年9月7日 - 1959年2月3日)が1959年の年頭に録音しましたが、彼が同年2月に飛行機事故で死去したため発表が遅れて、翌1960年4月5日になって彼... 続きをみる
「翼をください」は、元々日本のフォークグループの「赤い鳥」が1970年代に演唱した楽曲ですが、曲調が優れていることから、その後国内外の多くの歌手がカバーしています。 その中から、今回は、「ニュージーランドの歌姫」「癒しの歌姫」「史上最年少のユニセフ親善大使」ことヘイリー・ウェステンラ(Hayl... 続きをみる
「あの素晴しい愛をもう一度」(あのすばらしいあいをもういちど)は、日本のフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)」が1967年に解散した後、同グループのメンバーであった北山修が作詞し加藤和彦が作曲して、二人の演唱で1971年4月5日に発表した楽曲です。... 続きをみる
「 More Than I Can Say(言葉に出来ないほど…)」は、米国の歌手バディ・ホリー(Buddy Holly、1936年9月7日 - 1959年2月3日)が最初に演唱した楽曲で、1960年4月5日に発表されました。 この曲は、1959年の年頭に録音されていたものですが... 続きをみる
【魯冰花の花畑】 漢語の魯冰花(ルービンファ)とは、花の名で、日本ではルピナス、或いは花の形がフジの花が立ち上がっているように見えることからノボリフジ(昇藤)とも呼ばれています。 この花は、現在では観賞用として、紫・藤色・樺色・紅・白など様々な花色のものが栽培されています。 しかしながら、... 続きをみる
「夢見る人」(Beautiful Dreamer:美麗的夢中人)は、アメリカ合衆国の音楽家スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)が、1862年に作詞・作曲し、1864年彼が37歳の若さで事故死した後に発表さ... 続きをみる
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ "old soldiers never die; they just fade away." 」との文言は、第2次世界大戦中から戦後にかけて連合国軍最高司令官(SCAP)を務めた米陸軍元帥ダグラス・マッカーサー(Douglas Ma... 続きをみる
「老兵は死なず」は、100年以上前から米陸軍の兵士の間で歌い続けられている、殆ど戯れ歌のような歌謡曲です。 この曲は元々、イギリス軍の兵士が基地内の教会で歌っていたゴスペルソング「Kind words can never die(優しい言葉は決して消えない)」の替え歌として米陸軍の兵士が作った... 続きをみる
【伊賀山人庭園に咲いた七つの水仙】 春告草 (ハルツゲグサ)と言えば、一般に雪解けの時期に咲くユキノハナ(スノードロップ)や早春に開花する梅の花などの総称ですが、伊賀山人庭園で春一番に咲く花は水仙の花です。 そこで本日は水仙の花に因む「七つの水仙(Seven Daffodils:セブン ダフ... 続きをみる
【アメリカの楽譜集「歌のこだま」に収録されている「仰げば尊し」の原曲(右下部)】 日本の唱歌「仰げば尊し」は、1884年(明治17年)3月29日付「小学唱歌集第三編」に記載して発表された文部省唱歌ですが、この楽曲の作者は永年不明でした。 しかし、2011年1月に一橋大学名誉教授の桜井雅人が、旋... 続きをみる
【I Really Don't Want to Know:Eddy Arnold】 【I Really Don't Want to Know:Elvis Aron Presley】 「I Really Don't Want to Know(本当に知りたくない)」は、ア... 続きをみる
「White Christmas(ホワイト・クリスマス )」は、第2次世界大戦中の1941年のクリスマスに、アメリカのNBCのラジオ番組『The Kraft Music Hall』で、後に「クリスマスソングの王様」と呼ばれることになるビング・クロスビーの演唱で放送された楽曲です。 作詞・作曲は... 続きをみる
《Tomorrow will be Better》は、11月6日にご紹介した《明天會更好》の英文版です。 《Tomorrow will be Better》は、《明天會更好》が発表された後、台湾の大学教授戴宏興博士が歌詞を英語に翻訳して公開したものを、台湾の「ATT9多重合唱團」が演唱して《明... 続きをみる
「You've Got A Friend(邦題:君の友だち)」は、米国の女流シンガーソングライターのCarole King(キャロル・キング)が、1971年2月10日に発表した自身のソロデビュー2作目となるアルバムレコード「Tapestry(つづれおり)」の中の7曲目(B面1曲目)に収録... 続きをみる
「Ellie My Love」は、アメリカのソウルミュージック歌手でありピアニストでもあったレイ・チャールズ・ロビンソン(Ray Charles Robinson、1930年9月23日 - 2004年6月10日)が、1989年に発表した楽曲です。 この曲は、元々日本のロックバンド:サザンオール... 続きをみる
『We Are The World 25 For Haiti (YouTube Edition)』(2010年) は、ハイチ大地震救援チャリティーソングとして2010年2月1日に発表された「We Are The World 25 Years for Haiti」のYouTube版として、同年2月2... 続きをみる
『We Are The World 25 Years for Haiti』は、2010年1月12日に発生したハイチ大地震の救済チャリティとして録音されて同年2月1日に発表された楽曲です。 この曲は、25年前の1985年に大ヒットした「We Are The World」のリメイク版で、原版でプロ... 続きをみる
An American Trilogy:美國的三部曲は、アメリカ南部テキサス州ヒューストン出身のカントリーソング ライターのミッキー・ニューベリー【Milton Sims "Mickey" Newbury Jr. (May 19, 1940 – September... 続きをみる
「An American Trilogy(アメリカの3部作)」は、アメリカ南部テキサス州ヒューストン生まれのカントリーソング ライターのミッキー ニューベリー(1940.5.19 – 2002.9.29)が、 19 世紀のアメリカの3つの歌をメドレーに編成して、1971年... 続きをみる
「When You Wish Upon a Star」(邦題:「星に願いを」)は、1940年のディズニー映画『ピノキオ』の主題歌として、ピノキオの「良心」であるジミニー・クリケット(コオロギ)が歌った楽曲です。 実際にはジミニーを演じた声優でウクレレ奏者のクリフ・エドワーズ(Cliff Edw... 続きをみる
「ウィ・アー・ザ・ワールド」(We Are The World)は、1985年3月28日にアメリカで発売された楽曲で、世界的に著名なアーティストが「USAフォー・アフリカ」という名称のプロジェクトを組んで完成させたものです。 この曲は、当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のために作られたチャリ... 続きをみる
『Heal the World(ヒール・ザ・ワールド)』は、アメリカの歌手マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)が1991年11月26日に発売したアルバムで全世界で3200万枚を売り上げる大ヒットとなった『デンジャラス... 続きをみる
"Seta sanset" drowing by Utagawa Hiroshige, can have drawn around the year 1834. (upper left is Lake Biwa,lower right is River Seta and Bri... 続きをみる
考察の前提 Let it beは、1970年4月に解散したザ・ビートルズの作品の内、ミキシングが終了して完成した時期を基準とすると最後の楽曲です。 この曲は、ポールマッカートニーがThe Long and Winding Roadを歌ってジョンレノンに関係修復を呼びかけたもののジョンの同意は... 続きをみる
Let it be 御心のままに 1節 When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom, let it be 私が困難に直面していると 母親の メアリーが現... 続きをみる
「漫漫曲折路(The Long and Winding Road )」は、1970年に発表されたビートルズのラスト・アルバム『レット・イット・ビー』の収録曲で、同名の映画の中でも歌われています。 この当時のビートルズは、メンバー間の確執が最早修復不能なまでに悪化しており、グループ解散が目前に迫... 続きをみる
【怒涛逆巻く激流に架かる橋】 漢詩の多くは、「起・承・転・結」で構成されています。 古来、この構成が最も多くの人の心に響くと言われており、他の詩歌や文章などでも起承転結になっているものが少なくありません。 今回は、洋楽の「明日に架ける橋」を一例として考察します。 「明日に架ける橋」は、サ... 続きをみる
【縄文集落想像図】 1966年から67年にかけて、北海道洞爺湖町にある入江貝塚と呼ばれる、今から約4000年前の縄文時代の遺跡の発掘調査で、15体の遺骨が発見されました。 その内の「入江9号」(以下「イリエ」と言う。)と名付けられた一体は、頭部が普通の成人女性の大きさなのに、両腕と両脚が極... 続きをみる
【リバティ・バランスを射った男】 前回の記事で、大林監督が引用した「人々が伝説を信じ始めたら、我々は伝説を選ぶべきだ」という台詞は、ジョン・フォードが監督した映画の「リバティ・バランスを射った男(The Man Who Shot Liberty Valance)」の中にあります。 この映画... 続きをみる
20年ほど前に、東京駅発の新幹線の中で、大林宣彦監督に出会ったことがあります。 私が、東京駅で仙台行きの新幹線の指定席に座っていたところ、発車間際に大林監督が、数人のスタッフを引き連れて隣の三人掛けのシートにどやどやと乗り込んできました。 仲間内の世間話が始まりましたが、仙台までは時間もある... 続きをみる
毎年、6月10日の時の記念日が近づくと、昔、リーダーズダイジェストの日本語版で読んだ、チャールズ・ブロンソンの時計の話を思い出します。 1970年、経営危機にあった化粧品メーカーの「丹頂」は、社運をかけて開発した男性化粧品「マンダム」のテレビCM撮影のため、史上初めてハリウッドスターのブロンソ... 続きをみる
【晩年のチャールズ・ブロンソン(カンヌ映画祭会場にて)】 チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson, 1921年11月3日 - 2003年8月30日)は往年のハリウッドスターです。 彼は、1921年11月3日に、米国ペンシルベニア州において、リトアニア移民の家庭に15人兄弟の5... 続きをみる