第2話:チャールズ・ブロンソンの時計
毎年、6月10日の時の記念日が近づくと、昔、リーダーズダイジェストの日本語版で読んだ、チャールズ・ブロンソンの時計の話を思い出します。
1970年、経営危機にあった化粧品メーカーの「丹頂」は、社運をかけて開発した男性化粧品「マンダム」のテレビCM撮影のため、史上初めてハリウッドスターのブロンソンを起用し、その撮影クルーはアメリカに渡り撮影を開始しました。
このクルーを率いるのは、当時新進気鋭の映画製作者大林宣彦32歳、自主製作映画以外の実績は殆どありませんでした。
ユタ州モニュメント・バレーでの撮影は、概ね順調に進みましたが、いよいよ最後のワンカットを残すに至って、太陽が雲に隠れて思うような光線が得られません。
この間、ブロンソンは白馬に跨ったままで、身じろぎもせず、いつでも撮影開始に応じられるよう待機しています。
刻々と時間は過ぎ去り、漸く空が晴れてきたころには、既に契約時間は終了してしまいました。
アメリカは契約社会であり、ましてや超多忙なブロンソンが時間延長に応ずるはずもありません。
クルーを代表して、大林宣彦が恐る恐るブロンソンに伺いを立てます。
「ミスター・ブロンソン、我々は、最後のワンカットをどうしても撮りたい。契約時間を1時間、いや、せめて30分だけでも延長してもらえないだろうか?」
これを聞いたブロンソンは、馬上からクルー一同を見渡して、眉毛一つ動かさずに、言い放ちます。
「はるばる日本から来た人々よ、遠くから海を越えてやって来て、良い仕事をしたいという諸君の気持ちはよく分かる。しかし、契約書には何と書いてある? 言うまでもなく、契約は守られるためにある。」
これを聞いて、やはりそうかと、一同がっくりと肩を落とします。
すると、ブロンソンは、「ところで、諸君、私の時計はこの頃時々狂うことがあるのだが…」と言いながら、おもむろにポケットから時計を取り出しました。
その時計たるや、数多の宝石を散りばめて燦然と輝く特注品で、当時、その代価で家が一軒建つと言われたほどの超高級品です。無論、正確無比、狂うことなど滅多にありません。
ブロンソンは、その時計の竜頭を引き出し、クルクルッと巻き戻して言いました。
「さあ、諸君、あと1時間しかない。撮影を急ごう!」
一同歓声を上げて撮影を再開し、無事、CMは完成しました。
このCMが、日本で放送されるや、それまでCMの時間は「トイレ時間」と揶揄されるほど視聴者から軽視されていましたが、このマンダムのCMに限っては、番組よりもCMの中のブロンソンを見たくてテレビをつけるという逆転現象まで生じ、日本の男にも香りに包まれるという習慣が定着して、マンダムは爆発的なヒット商品となり、丹頂は社運を回復したのであります。
かくして、遅咲きのスター、チャールズ・ブロンソンは、人の痛みを知る男の中の男として生きながらにして伝説となったのであります。
マンダムCM②【チャールズ・ブロンソン】 1970 「う〜ん、マンダム」
・・・第3話に続く・・・
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