伊賀国名張郡国見(現在の伊賀市種生)にある兼好法師終焉の地に服部土芳(はっとりとほう)の句碑が一つ残されています。 服部土芳、本名は保英、通称は服部半左衛門と名乗る伊賀上野藤堂藩の武士でした。幼少の頃、同郷の俳聖松尾芭蕉に俳句を学び、長じて芭蕉の高弟の一人にも数えられた江戸時代初期の俳人です。... 続きをみる
2016年1月のブログ記事
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「伊賀の乱」というと、伊賀者が何か騒動でも起こしたかのような印象を受けますが、そうではなく、この乱は戦国時代に天下征服を企む織田の軍勢が一方的に伊賀を攻め立てて壊滅させた侵略戦争です。 織田の軍勢は、天正6年(1578年)から天正9年(1581年)にかけて3回、伊賀に侵攻しました。一般に1回目... 続きをみる
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兼好法師(けんこうほうし、1283年頃~1352年以降)、本名卜部兼好(うらべ かねよし)は、今から700年ほど前の官人であり歌人・随筆家でもあった人です。30歳頃に出家したため、自他共に兼好法師と称されていましたが、後の世に卜部氏が吉田と改名したことにより、江戸時代以降は吉田兼好(よしだ けん... 続きをみる
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図A 「X字型」 図B 「Y字型」 (東京成徳大学田村教授の論文から引用) 親の願いは、子供が成長して社会的にも経済的にも自立することにあります。 上記の図は、親と子供の相対的力関係を時系列で表したものです。縦軸は力を、横軸は子供の年齢を表します。図AのようにX字型... 続きをみる
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旧年中、ブログを閉鎖して国家賠償訴訟に心血を注いで参りましたが、時効と除斥期間の法律解釈や国の要求する追加資料の収集などの問題により、戦線は、再び膠着状態に陥ってしまいました。 本年は、60年前の医療記録の収集など尋常ならざる困難も予想されますが、業務閑なる折には徒然なるままに一片の駄文でも掲... 続きをみる
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新年明けましておめでとうございます 年頭にあたり、ご一統様本年益々のご健勝とご多幸とを祈念申し上げます 平成28年元旦 伊賀山人敬白