伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

但願人長久(但だ人の長久を願う):鄧麗君演唱

  【仙女與仙人「但願人長久千里共嬋娟」之圖】

筆者注:

「書」は、縦書きを基本とします。

上図の書は、1行2字の縦書きで右から、「但願 人 長久 千里 共 嬋娟」と6行に分けて縦に書かれており、2・5行目は、1行1字で「人」「共」となっています。

「清水寺」が「寺水淸」と書かれているのを見て、右から書いた「横書き」だと勘違いする人がいますが、これは1行1字の「縦書き」です。あくまでも縦書きであるから右から書いているのです。

 横書きであれば左から書くのが理に適っており、敢えて右から書くのは、アラビア語くらいなものです。


 「但願人長久」は、アジアの歌姫と呼ばれた鄧麗君が、1983年に発表したオリジナルアルバム《淡淡幽情》に収録している楽曲です。


 この歌詞は、宋王朝時代の詩人蘇軾(そしょく:字は東坡〔とうば〕:1037年1月8日 -1101年8月24日)の書いた《水調歌頭》と題する詞(詩よりも散文に近い韻文)をそのまま使っています。
 《水調歌頭》とは、「詞(詩ではない)」の形式のひとつで、“元会曲”、“凱歌”ともいわれるもので他にも多くの同題の作が有りますが、蘇軾のこの作品が最高傑作とされており、現在では《水調歌頭》といえば蘇軾のこの作品の代名詞になっています。
 《水調歌頭》は、日本ではあまり馴染がありませんが、台湾ではこれを知らない人はいないくらい有名な詞です。


 蘇軾がこの詞を作ったのは、中秋の明月を観賞する宴会の時です。
 仲間と集まり、大いに飲んで相当酔いが回った頃、ふと遠く離れた地に居る弟の蘇轍(そてつ:字は子由)のことを思い出して即興で書いたものです。


 詞の前半は、酔っ払いらしく自分のことを月から降りてきた仙人に擬えて、そろそろ月へ帰ってもよい頃だが、高いところは寒いのでやめておこうなどとユーモラスに詠じています。
 後半は、南の空高くに見えていた満月が、夜の更けるにしたがって西の空に傾く様子を詠じ、一転真面目になって、月の満ち欠けも人生も思い通りにはならないのだから、せめて遠く離れている人には健康で長生きをしてもらって、私と同じように美しい月を眺めて離れ離れになっている自分と心を繋いでもらいたいものだと、弟を思いやる心情を詠じて1首の結びとしています。


 蘇軾は、日本の時代区分で言えば平安時代中期の人ですので、《水調歌頭》を歌うということは、現在の日本で「古今和歌集」あるいは「枕草子」や「源氏物語」などに曲を付けて歌うことに相当します。


 この《水調歌頭》に、「恰似你的溫柔 」や「抉擇」などの作曲で知られる梁弘志(1957年9月2日-2004年10月30日)が曲を付けて「但願人長久」は完成し、鄧麗君が歌って大ヒットとなりました。
 歌詞の中には蘇軾や彼の弟に関することは何も書かれていませんので、発表時からこの歌は兄弟に限らず遠く離れている全ての人々を思いやる心情を詠じたものとして解釈されています。
(蘇軾の原詞の序文には、この詞を弟の為に作ったことが書かれている。)


 「但願人長久」は、日本ではあまり知る人もいませんが、台湾では鄧麗君の代表曲とされています。


 今回は、原詞に読み下し文と現代語訳を添付し、鄧麗君の演唱でご紹介します。
 千年の時を越えて、歌曲としてよみがえった蘇軾の 《水調歌頭》です。



【原詞】
但願人長久(水調歌頭) 
                     作詞:蘇軾 作曲:梁弘志 演唱:鄧麗君
明月幾時有?把酒問靑天。
不知天上宮闕,今夕是何年。
我欲乘風歸去,又恐瓊樓玉宇,高處不勝寒。
(「又」の1字を歌詞では「唯」につくる)
起舞弄淸影,何似在人間!


轉朱閣,低綺戸,照無眠。
不應有恨,何事長向別時圓?
人有悲歡離合,月有陰晴圓缺,此事古難全。
但願人長久,千里共嬋娟。



【読み下し文】
但だ人の長久を願う(水調歌頭)


明月は幾時(いくとき)よりか有る?
酒を把(と)りて靑天に問ふ。
知らず天上の宮闕(きゅうけつ)は,
今夕(こんせき)は是れ何年なるかを。
我(われ)風に乘りて歸り去らんと欲するも,
又た恐る瓊樓(けいろう) 玉宇(ぎょくう)の,
高き處(ところ)は寒さに勝(た)へざるを。
起(た)ちて舞いて淸影(せいえい)を弄(もてあそ)べば,
何ぞ似ん 人間(じんかん)に在るに!


朱閣(しゅかく)に轉(うつ)り,
綺戸(きこ)に低(た)れ,
眠る無きを照らす。
應(まさ)に恨み有るべからざるも,
何事(なにごと)ぞ長(つね)に 別かるる時に向(お)いて圓(まどか)なる?
人に悲歡(ひたん)離合(りごう)有り,
月に陰晴(いんせい)圓缺(えんけつ)有り,
此の事は古(いにしへ)より全(まつと)うすること難(かた)し。
但だ願う 人の長久にして,
千里 嬋娟(せんけん)を共にするを



【現代語訳】
ただ人々が健康で長生きすることを願う


明月は、いつの時代からあるのだろうか?
酒杯を持って、天帝に問いかける。
天上世界の宮殿では、
今宵は何の年になるのだろうか。
わたしは風に乗って月世界へ帰ろうと思うのだが、
又もや恐れるのは 月世界の御殿は、
高い所にあるので 寒さに耐えられないことだ。
立ち上がって舞いながら 月に照らされてできた影と戯れていると
月に帰らなくとも俗世間に居るとは思えない気分だ


月が美しい楼閣の上を傾いてゆき、
模様のある戸をくぐって光が差し込んできて、
眠らずに友人と酒盛りをしている私を照らす。
月に恨みがあるわけではないが、    
どうして、いつも思いを寄せる人と遠く離れているときに限って満月になるのだろうか?
人には、歡びと悲しみ、出会いと別れがあり、
月には、姿を現したり隠れたり、円くなったり缺けたりすることがあるが、
これらの事は昔から人の思い通りにはならないものだ。
ただ、せめてもの願いは、人々がお互い健康で長生きをして、     
例え千里を隔てていても、共に同じ明月を眺めて心を繋ぐことだけだ。


筆者注:

 詞中に見える「靑天」の詞語の意味は、漢詩に於いては、文字どおり「青空」を意味することもあれば「春の空」に限定することもあり、また「天帝」を指すこともあります。

 ここでは文脈上、「天帝」を採用して解釈しておきます。




鄧麗君-但願人長久