伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

叡智の言葉「Let it be」に関する一考察


 考察の前提
 Let it beは、1970年4月に解散したザ・ビートルズの作品の内、ミキシングが終了して完成した時期を基準とすると最後の楽曲です。
 この曲は、ポールマッカートニーがThe Long and Winding Roadを歌ってジョンレノンに関係修復を呼びかけたもののジョンの同意は得られず万策尽きて、ビートルズ解散は不可避であることを悟って作ったものです。
 作詩・作曲は、例によって「レノン・マッカートニー」と二人の連名になっていますが、実際はポールが一人で作ったものです。

筆者注:

 ジョンが高校生の時結成したアマチュアバンド「クオーリーメン」にポールが参加した時、「もし将来、音楽でお金が稼げるようになったら、どちらが作った曲でも儲けは半分づつにしよう。」と約束しました。

 これは単なる口約束でしたが、ビートルズ解散まで、この二人の男の約束は守られました。


 この曲は、ビートルズ解散と相前後して、3回発表されています。
 初出は1970年3月に発売した22枚目のオリジナル・シングル曲かつ解散前の最後のシングル盤、2回目は1970年5月8日に発売された13作目となる最後のオリジナル・アルバム、3回目は1970年5月20日に公開された同名の映画のテーマ曲です。
 それらは、テイクやミキシングの違いにより、歌詞なども少しづつ異なっていますが、その説明は割愛します。


 この曲で特徴的なのは、言うまでもなく曲名にもなっている「Let it be」のフレーズの繰り返しです。
 1曲の中で、畳みかけるように合計36回繰り返されています。


 そもそも詩歌というものは、公文書や学術論文のように1点の疑義もなく書かれるものではありません。
 やや曖昧かつ包括的で様々な解釈ができる余地を残した方が、より多くの人の人生観に適合するものと成り得ます。
 しかしながら、この「Let it be」の語句については、現代英語として直訳すると、「そのままにしておけ(かまうな)」となることから、「何をやっても無駄だから最初から何もしないほうが良い」という受動的悲観的な解釈と「出来るだけのことをした後は、天命に任せよう」という能動的自主的な解釈の対立を見ます。


1 序論
 本考察に於いては、まず、「叡智の言葉」である「Let it be」を語った人物を特定し、次いで資料に基づき「Let it be」の語句の意味を解明して、「Let it be」の語句の解釈について、ポール マッカートニーの真意を推定することを目的とする。


2 本論
(1) 「Let it be」を語った人物
 この詩の中では、「Let it be」と語ったのは、「Mother Mary (母メリー)」とされている。
 曲が発表された当初は、叡智の言葉を語るのは、当然の如く「聖母マリア」だと解釈されていた。
 ところが、「聖母マリア」の呼び方には、「blessed virgin」、「virgin Mary」、「the Virgin」、「Saint Mary」あるいは「 Mother of Jesus」など様々な呼び方が有るが、「Mother Mary 」という呼び方だけは見当たらない。
 このことが世上長年の疑問であったが、後にポール自身が、「Mother Mary (母メアリー)」とは自分が14歳のときに乳がんで死亡した母親メアリー マッカートニーのことだと打ち明けた。(注1)
 しかしながら、ポールがわざわざこの曲をゴスペル調にアレンジしたことなども考え合わせると、聖母マリアが否定されたわけではない。
 つまり、「Let it be」を語ったのは、直接的には夢に出てきた母親であるが、その母親が聖母マリアの言葉を代弁したと解釈するのが自然である。
 これは、所謂ダブルミーニングの一種と思われる。


(2) 「Let it be」の意味
 まず、ポールの夢に出てきたメアリー母さんの言葉は次のようなものであったと伝わっている。
「It will be all right, just let it be.」
『大丈夫、うまくいくわよ、ただあるがままにしなさい』


 この言葉には、悩みぬいて万策尽きた息子に対する母親の愛情が込められている。
 息子の努力が前提になっている以上、言外に「人事を尽くして天命を待つ」という能動性が込められているものと考えられる。


 次に、聖母マリアの言葉としては、新約聖書のルカ伝福音書の中の「受胎告知」の節にこの言葉は書かれている。
 その詳細は、下記注2に引用するが、文語調でやや分かりにくいので、次に伊賀山人の口語訳を掲載する。
 なお、天使というものは、神の言葉を伝えるだけのメッセンジャーであって、マリアと何らかの交渉をするような権限はない。

【左が天使ガブリエル、右はマリア】

 天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。

  ダビデ家のヨセフという人の婚約者である乙女マリアのところに遣わされたのである。

 天使は、彼女のところに来て言った。

 「ちょっと、あんた~ 喜んでや~。神さんがあんたと一緒にいはるで~。」


 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこのだしぬけの挨拶は何のことかと考え込んだ。


  すると、天使は続けて言った。

 「マリアはん、何も怖がることあらへんで~。あんたは神さんから恵みを貰えんねんで~。 あんたは妊娠して男の子を産むねん。そしたらその子をイエスと名付けなはれ。 その子は大きうなったら偉ろうなって、みんなから尊敬されるねんで~。神さんは、その子に父ダビデの王座とかヤコブの家とか何かよう分からんけど、いろんな物を呉れはんねんやで~。」


 この当時のユダヤでの女の結婚年齢は15~18歳であった。

 今で言えば女子高生くらいの年齢で婚約者もいるマリヤはビックリ仰天した。

 それもそのはず、婚約者のいる女の不倫は、死刑に相当する重罪である。


  断わるに如くはなしと、マリアは神の怒りに触れぬよう天使に遠回しに言った。

『何やねん、突然。そんなことありえへん。第一~うちはまだ男の人とアレしたことないねんで~。』


 天使は答えた。

「何も心配いらへんわ~。聖霊ちゅうもんが天国から降りてきて、あんたにちょっかい掛けたら簡単に神さんの子が出来んねん。ほら、 あんたの親類のエリサベト小母さんも、結構年とってるし~もう出来へんのかと思うとったら、今妊娠6箇月になってるやないの~。あれも神さんがしはったことや~。神さんに出来へんことなんか何もあらへんのや~。」


  マリアは根負けして言った。

「せやな~、うちも神さんの信者の端くれや~。あんたの言うとおり、神さんの考えどおりにするわ~。*」

 そこで、天使はほっと胸をなでおろして、天国に帰って行った。

 *ここで、原文に「Let it be」が出てくるのは、マリアの最後の言葉である。
 古代英語では、次のように書かれている。
 「Let it be unto me according to thy word」 
 これは、現代英語では、次のようになる。
 「As you have speak, so be it to me」


 実は、上記のどちらでも複数の意味に解釈できる。
 解1(貴方の話のとおり、そうあって欲しい。)(願望)
 解2(貴方の話のとおり、神の意思に従う。)(受容)
 解3(貴方の話のとおり、それならそれでよい。)(諦観)


 同じキリスト教でもカトリックやプロテスタントなど宗派が異なると解釈も異なる。
 カトリックの場合には因果応報的な思想が強く、出来る限りの善行を積んでいれば神は必ずそれを評価してくれるので、人事を尽くして最終的には神の意志に従おう(受容)とする考え方である。
 これに対し、プロテスタントでは人の運命は生まれながらに神の意志によって定まっており、個人の努力ではどうすることも出来ないので、じたばたせずに運命に任せよう(諦観)とする考え方である。
 ポールと母親のメアリーは、カトリックであったので、断定はできないもののどちらかというと「解2」の「(貴方の話のとおり、神の意思に従う。)(受容)」の可能性が強いものと考える。
 なお、「解1」の「(願望)」は、宗教的理念とは関係なく人としての欲求によるものであり、望まぬ妊娠をすることになるマリアの意思とは解しがたい。


3 結論
 「Let it be」の意味は、何事にも可能な限りの努力をした後の結果については人智の及ばぬところであり、最終的には「神の意志、御心のままに任せよう。」とする能動的かつ主体性のあるものであり、故事に言う「人事を尽くして天命を待つ。」とほぼ同義である。


理由:
1 ポールがあらゆる努力を講じた末に詠じた詩であること。
2 ポールもマリアもカトリックであり、「因果応報」の理念を持つこと。
3 伊賀山人の美意識に沿うこと。


注1: ポール マッカートニー談


「60年代には僕にとってひどいことがたくさんあったが,僕らは-まあいつも麻薬をやってたからだろうが-ベッドに横になっては一体どうなるんだろうかと考え,偏執狂的にくよくよしたりしたもんだ。そんなある晩,僕は母親の夢を見た。彼女は僕が14歳のとき死んだから,彼女の声は長いことぜんぜん聞いていなかった,だからとってもうれしかった。それで僕は力が湧いてきて『僕が一番みじめなときにメアリー母さんが僕のところへ来てくれた』って文句が思いうかんだ。僕はジョンやパパが出てくる夢も見るが,不思議なことだ。まるで魔法みたいだ。もちろん,彼らに会っているわけじゃなくて自分自身かそれとも何かほかのものに出会っているんだけれどね…」


(『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』ジェフリー・ジュリアノ著 伊吹 徹訳 音楽の友社刊より引用)

 

注2: ルカ伝福音書の中の「受胎告知」抜粋


御使ひガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる処女のもとに、神より遣かはさる。この処女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使ひ、処女の許にきたりて言ふ『めでたし、恵まるる者よ、主汝と偕に在ませり』マリヤこの言によりて心いたく騒ぎ、斯かる挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、御使ひ言ふ『マリヤよ、懼るるな、汝は神の御前に恵みを得たり。視よ、汝孕ごもりて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大いならん、至高き者の子と称へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの神位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その国は終ることなかるべし』マリヤ御使ひに言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使ひこたへて言ふ『聖霊なんぢに臨み、至高き者の能力なんぢを被ほはん。此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と称へらるべし。視よ、汝の親族エリザベツも、年老いたれど男子を孕らめり。石女といはれたる者なるに、今は孕らめりてはや六月となりぬ。それ神の言には能はぬ所なし』 マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女なり。汝の言のごとく我になれかし*』つひに御使ひ、はなれ去りぬ。


 新約聖書 文語訳 ルカ伝福音書 第一章



【1962年、ビートルズ結成時最初のプロ写真家によるプレス写真】



 「Let it be」の歌詞の解説はこちら↓