伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow:在彩虹彼端)


 「虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow:在彩虹彼端)」は、アメリカ合衆国の女優、歌手であったジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922年6月10日 - 1969年6月22日)が、1939年8月25日に公開されたミュージカル映画『オズの魔法使』(オズのまほうつかい、The Wizard of Oz)の中で、彼女が演じた主人公のドロシー・ゲイルが映画のオープニングシーンで演唱する劇中歌です。
 なお、この映画に出演した時当時ガーランドは既に17歳になっており、ドロシーの役どころよりはかなり年上です。
 これは、映画を製作したメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)が、元々主役をライバル社の20世紀FOXの人気子役で当時11歳であったシャーリー・テンプル( Shirley Jane Temple、結婚後は Shirley Temple Black:1928年4月23日 - 2014年2月10日)を予定していましたが出演交渉がまとまらず、急遽自社所属のガーランドを抜擢して起用したためです


 この楽曲は、ハロルド・アーレン(Harold Arlen、1905年2月15日 - 1986年4月23日)が作った曲に、エドガー・イップ・ハーバーグ(Edgar Yipsel "Yip" Harburg、1896年4月8日 - 1981年3月5日)が詞を付けたもので、1939年の映画の大ヒットと共にアカデミー歌曲賞を受賞しています。
 この映画を契機として1940〜50年代のハリウッドを代表する大スターとなったジュディ・ガーランド終生の代表曲で、 2001年に全米レコード協会等の主催で投票により選定された「20世紀の名曲」(Songs of the Century)では第1位に選ばれています。


 歌詞の内容は映画の中の少女ドロシーが、嘗て子守唄の中で聞いたことのある虹の彼方の夢の国へ行きたいという心情を詠じたものです。


 原作そのものが子供向けのお伽噺ですので、歌詞もそれに沿って比較的単純で夢想的なものになっていますが、最後の一句「Why, oh why can’t I?(なぜ? ああなぜ私には出来ないの?)」は、少女ドロシーの心情を考えると単純な疑問形ではなく反語として「私にもできるはず」と解釈するほうが自然です。


 ジュディ・ガーランドは1935年13歳の時にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と専属契約して銀幕デビューしていますが、太りやすい体質であったためMGMの指示により当時としては合法薬物であった覚醒剤(アンフェタミン)をダイエット薬として常用していました。
 そのため20歳を過ぎた頃から中毒症状に悩まされるようになり、その治療のために入退院を繰り返し、その間何度も自殺未遂事件を起こしています。


 なお、覚醒剤の副作用による薬害が広く世間に知られるようになって処方が制限されるようになったのは日本では1950年のことですが、アメリカでは1959年になって漸くアメリカ食品医薬品局 (FDA) が処方制限に踏み切っています。
 ガーランドが活躍した時代に於いては、未だ覚醒剤の常用による深刻な薬害は認識されておらず、普通の市販薬として近所のドラグストアで売られていました。
 MGMとの契約で「スリムでいること」を含め強制的なダイエットを命じられたガーランドは、大人の都合による被害者であったともいえるでしょう。


  1961年39歳になったガーランドは、再起を期して7年ぶりに映画『ニュールンベルグ裁判』に出演し、バート・ランカスターやマレーネ・ディートリヒと共演して衰えない演技力によりアカデミー助演女優賞にノミネートされています。
 また、同年4月23日にカーネギー・ホールで行ったソロ・コンサートを収録し、7月10日に発表したライブ・アルバム『 Judy at Carnegie Hall 』はグラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、ガーランド自身も最優秀女性歌唱賞を受賞しています。
 しかしながら、その後病状が回復することはなく、1963年を最後に表舞台から姿を消して、1969年6月22日に滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取により47歳の生涯を閉じています。


 今回は、1939年の映画の中での演唱と彼女最後の絶唱とされている1961年のカーネギー・ホールでの演唱の二つをご紹介します。


 蛇足ながら、映画『オズの魔法使』の最後にドロシーは虹の彼方にはなかった理想の場所を見つけています。
 それは、まさに虹の彼方への旅を終えようとする彼女が家に帰るために唱えた魔法の言葉でもあり、我が家で目覚めた彼女のこの物語最後の台詞ともなっている次の一句が表わしています。 

「There’s no place like Home!」

故郷のお家ほどよい場所はどこにもないわ!」


 理想郷はどこか遠くの地にあるのではなく、自分のすぐそば或いは自分の心の中にあるとする主張は、今から1400年ほど前の魏晋南北朝時代の詩人陶淵明が、「桃花源記」で著した桃源郷の概念と軌を一にするものです。



 Somewhere over the rainbow
 虹の彼方のどこかに
 在彩虹彼端


Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I heard of once in a lullaby
Somewhere over the rainbow, skies are blue
And the dreams that you dare to dream really do come true
虹の彼方のどこかの ずっと高いところに 
いつか子守唄で聞いた場所がある 
虹の彼方のどこかで 青空が広がり 
そして人々が敢えて夢見るそんな夢が  本当にきっと実現する所が 

在彩虹彼端,雲的深處
有我在搖籃曲中聽聞的那片淨土
在彩虹彼端,天際蔚藍
而你那些勇於憧憬的夢想,終將會實現

 
Someday I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemon drops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
いつか私は星に願いをかけよう 
そして雲が私の後ろの遥か遠くに浮かぶ所で目覚めよう 
どんなトラブルもレモン・ドロップスのように溶けてなくなる所
煙突の頭よりもずっと上の方 
そこがみんなが私を見つける場所 

有一天我會對著星星許下心願
在烏雲散去之後醒來
屆時令人心煩的瑣事將會檸檬汁一般
煙消雲散
你將會在那找到我


Somewhere over the rainbow, bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
虹の彼方のどこかで 青い鳥たちは飛ぶ
鳥たちは虹を越えて飛んで行く 
それなのに ああなぜ私にはできないの?

在彩虹彼端,幸福的青鳥飛舞著
自由自在地在紅的彼端飛舞著
為何,噢,為何我卻不能?


(間奏)


If happy little bluebirds fly beyond the rainbow
Why, oh why can't I?
幸せの小さな青い鳥たちが虹を越えて飛んでゆけるのなら 
どうして、ああどうして私にできないでしょうか? いいえきっと出来るはずよ…

如果青鳥能夠飛翔於彩紅彼端
為何,噢,為何我卻不能?

 


 1939年の映画の中での演唱↓

Over the Rainbow | Tu canción | TCM



 1961年のカーネギー・ホールでの演唱↓

Over The Rainbow - Judy at Carnegie Hall


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