What a Friend we have in Jesus(たふときわが友:いつくしみ深き)
【讃美歌第二百四十三 「たふときわが友」(左頁)】
今回は、前回ご紹介した「Molly Darling(愛しのモーリー:茉莉親愛的)」と曲調が似ているためしばしば混同される「たふときわが友」(別題:「いつくしみ深き)」(いつくしみふかき、原題: What A Friend We Have In Jesus〈英語〉)をご紹介します。
この楽曲は元々プロテスタントの賛美歌のひとつでしたが、現在ではカトリックを含め、日本のキリスト教会での結婚式や葬式などでよく歌われています。
「たふときわが友(別訳:いつくしみ深き)」の歌詞と曲とはそれぞれ別々に作られたもので全く無関係なものでしたが、偶然の出来事により両者が組み合わされてこの楽曲は完成しました。
なお、讃美歌には基本的に題名はなく讃美歌集に収録されている順に讃美歌243番のように番号で呼ばれますが、便宜上歌詞の最初の一句を採って「たふときわが友」と称しています。これは、漢詩の中で二千年以上前に作られて、固有の題が不明である古詩十九首の個別の詩の呼び方と同じです。
また、「たふときわが友(別訳:いつくしみ深き)」の讃美歌番号は、日本で最初に発表された上掲の讃美歌集では243番でした。その後キリスト教の各教派毎に別々の讃美歌集を編纂したため、今では少なくとも10種類以上の讃美歌集が存在します。それぞれの讃美歌集にこの讃美歌も収録されていますが、収録順が異なっているので讃美歌番号も異なっています。つまり、讃美歌番号だけでは何の曲かが分からないのが現状です。
記事冒頭の画像は、基督教各派が合同で立ち上げた讃美歌委員会が明治33年(1900年)10月に編集して明治36年(1903年)12月26日に発行した本邦初の讃美歌集に楽譜を追加した増補版です。
この当時は、和訳の歌詞は「たふときわが友」で始まるものでしたが、昭和6年(1931年)に「いつくしみ深き」から始まる別の訳詞も作られて、現在は後者の方が主流になっていますが内容はほぼ同じです。
なお、この本は伊賀山人の祖母(M16.7.1ーS49.7.1、91歳の誕生日に永眠)が約100年前に女学校の教師をしていたころ教材として使用していたもので、伊賀山人博物院の収蔵品の一つです。
この楽曲の原詩は、カナダに移住していたアイルランド人のジョセフ・スクライヴェン(Joseph M. Scriven、1819 - 1886)が、1854年にアイルランドにいる病気の母親の為に作ったものです。
スクライヴェンは1819年9月10日にアイルランドのシーパトリックに生まれました。
ダブリンのトリニティ・カレッジを卒業して、文学士の資格を取り何かの事業をしていたようですが1844年頃 25歳の時に結婚式を目前にして破産してしまいました。
そのことが原因で婚約者と別れることになったスクライヴェンは、キリスト教 プリマス・ブレザレン派(プロテスタントの一教派)の伝道師としてカナダに移住し、オンタリオ州で不幸な人や貧しい人への奉仕活動に一生を捧げました。
カナダでは新しい婚約者も出来ましたが、別のキリスト教派の信者である彼女がプリマス・ブレザレン派の教理に従って再洗礼をうける ために冬のライス湖に入ったところ風邪をひいてしまい、それをこじらせて死去してしまいました。
婚約者を二度も失うという悲劇に見舞われたスクライヴェンですが、イエス・キリストへの信頼の気持ちが揺らぐことはなく、その後も貧しい人々や身体の 不自由な人々など社会的弱者救済に熱心に取り組み、宗教活動と詩作の日々を送っていました。
そのような中で、カナダに移住して丁度10年となる1854年に故郷のアイルランドから母危篤の知らせが届きます。
しかし、一時期オンタリオ州の學校で教鞭をとって収入を得ていたこともあるスクライヴェンですが、貧しい伝道師としての生活が長かった彼には旅費を工面することができませんでした。
そこで、涙にくれながら一片の詩を書いて母に贈りました。
それがこの What a friend we have in Jesus(たふときわが友:いつくしみ深き)です。
歌詞の内容は、イエスへの信仰により悩みや苦しみを癒そうと呼びかけるものになっています。
日本では現在この讃美歌を結婚式でも合唱していますが、神に召されようとしている母親に贈ったこの詩の内容は、ある意味鎮魂歌ともいえるもので、決して結婚式に相応しいお目出度いものではありません。
そのため、作詩当時は詩人のスクライヴェンも一般公開する予定はありませんでしたが、1864年にHasting, Social Hymns,という讃美歌集に匿名で収録しました。
その後、福音唱歌系の歌集に転載されて、一般の礼拝用歌集にも収録されるようになりました。
その内容に感動した多くの人々がこれに曲を付けたので様々なバージョンが存在しますが、現在最も有名なのはアメリカ人のチャールズ・クローザット・コンヴァース(Charles Crozat Converse 1832年10月7日 - 1918年 10月18日)が作曲したものです。
コンヴァースは、1832年アメリカマサチューセッツ州の生まれで、1855年からドイツに留学してライプツィヒで法律と音楽を学び 、1857年に帰国して1861年にはアメリカニューヨーク州のアルバニー法律学校を卒業しています。
その後、彼はアメリカ合衆国の弁護士として成功しています。
その間、作曲は趣味として携わっていたようですが、教会音楽を中心に交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲等広範な楽曲を書いています。
コンヴァースは、スクライヴェンの詩とは無関係に1868年に「 Erie (エリー)」という題の曲を書いていますが、この曲はアメリカとカナダの間に横たわる「エリー湖」をテーマにするもので偶然にもスクライヴェンが当時住んでいたカナダのオンタリオ州はエリー湖北岸の街ですが、二人は面識のない全くの他人でした。またこの曲には歌詞は付けられていませんでした。
コンヴァースがスクライヴェンの詩を知ったのは、「 Erie (エリー)」を作曲して間もなくのことで、当時著名な職業作曲家であった Ira David Sankey (1840-1908)が自身の歌曲集の中にスクライヴェンの詩に曲を付けたものを収録しているのを見た時でした。
コンヴァースは、この「What a Friend we have in Jesus(たふときわが友)」の詩が自分の書いた「 Erie (エリー)」の曲にピッタリであることに気付き、両者をセットにして1870年にSilver Wings,1870に発表しました。
その後、Gospel Hymns and Sacred Songs,1875に掲載されて評判となり全米に広まりました。
この曲がヒットしたことにより、それまで匿名であった作詩者のスクライヴェンの名も世に知られるようになりました。
日本でも1870年代には讃美歌として伝わり教会では演唱されていたものと思われますが、讃美歌として正式に編集されたのは前述のとおり1900年のことでした。
更に日本では、この曲に全く別の歌詞を付けて文部省唱歌に転用しています。
1910年には「教科統合中学唱歌第2巻」に杉谷代水作詞の「星の界(よ)」、1952年に出版された「小学校用音楽五」には川路柳虹作詞の「星の世界」が 収録されています。
その他にも、「母君にまさる」その他の題名で母親の情愛を歌った日本語歌詞も複数存在します。
今回は、アメリカの国民的歌手で、「絹の声」と謳われたパティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)の演唱でご紹介します。
なお、この演唱は、録音時間の関係で原詞を少し省略しています。省略部分については、英文歌詞を細字で表記しておきます。
和訳は、本邦初の讃美歌集から「たふときわが友」を引用して、「いつくしみ深き」の方は参考添付にしておきます。なお、原訳詩は変体仮名(筆者注:変体仮名とは明治初期まで使われていたひらがなの一種。現在のひらがなは1音1字に統一されているが、明治初期までは1音に複数のひらがながあった。)で書かれていますが、現行のひらがなに書き換えてご紹介します。
蛇足ながら、和訳した歌詞は英語の原詩を抜粋した上で要約したという非常に大雑把な詩になっています。
What a Friend we have in Jesus
たふときわが友 エスキリストは
我們在耶穌裡有多麼的朋友
作詞:Joseph M. Scriven(1855)
作曲:Charles C. Converse (1868)
1
What a Friend we have in Jesus,
All our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
Everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
O what needless pain we bear,
All because we do not carry
Everything to God in prayer!
たふときわが友(とも) エスキリストは
つみとがうれひを とりさりたまふ
こゝろの悲歎(なげき)を つゝまずのべて
などかはおろさぬ おへるおもにを
我們在耶穌裡有多麼的朋友,
我們所有的罪惡和悲傷!
有什麼特權要攜帶
祈禱的一切都歸於上帝!
我們常常放棄什麼樣的和平,
我們承受了什麼不必要的痛苦,
因為我們沒有攜帶
祈禱中的一切都歸於上帝!
2
Have we trials and temptations?
Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged,
Take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful
Who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness,
Take it to the Lord in prayer.
たふときわがとも エスキリストは
われらのよわきを しりてあはれむ
なやみかなしみに しづめるときも
いのりにこたへて なぐさめたまはん
我們有試煉和誘惑嗎?
有地方有麻煩嗎?
我們永遠不應氣餒,
在禱告中把它帶到主面前。
我們能找到一個如此忠誠的朋友嗎?
我們所有的悲傷都會分享誰?
耶穌知道我們的每一個弱點,
在禱告中把它帶到主面前。
3
Are we weak and heavy-laden,
Cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge—
Take it to the Lord in prayer;
Do thy friends despise, forsake thee?
Take it to the Lord in prayer;
In His arms He’ll take and shield thee,
Thou wilt find a solace there.
たふときわがとも エスキリストの
ふかきいつくしみ 永久(とは)にかはらず
世(よ)の友(とも)のわれを すてさるときも
いのりにこたへて 憐憫(いたは)りたまはん
我們是弱者還是沉重的,
多重護理?
珍貴的救主,仍然是我們的避難所 -
在禱告中把它帶到主面前;
你的朋友鄙視,拋棄你嗎?
在禱告中把它帶到主面前;
在他的懷裡,他會接受並保護你,
你會在那裡找到安慰。
『讃美歌』(1931年)
五三九 箴言 一八・二四
1.
いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは
つみとが憂(うれ)ひを とり去り給(たま)ふ
こころの悲歎(なげき)を 包(つつ)まずのべて
などかは下(お)ろさぬ おへる重荷(おもに)を
2.
いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは
われらの弱(よわ)きを しりて憐(あは)れむ
惱(なや)みかなしみに 沈(しづ)めるときも
いのりに應(こた)へて 慰(なぐ)さめたまはん
3.
いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは
かはらぬ愛(あい)もて みちびき給(たま)ふ
世(よ)の友(とも)われらを すてさる時(とき)も
いのりに應(こた)へて 勞(いた)はり給(たま)はん
底本: 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌』日本基督教団讃美歌委員会、1954年5月改訂版
Patti Page - What A Friend We Have In Jesus
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