伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

蒹葭(けんか:詩經-風-秦風)


 「蒹葭(けんか)」は、支那最古の詩集である「詩経」に収録されている詩の一つです。


 「詩経」は、紀元前11世紀から紀元前7世紀にかけての詩を収めたもので、伝承によれば,孔子(こうし、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)が門人の教育のために、当初3000篇あった膨大な詩篇を311篇(うち6篇は題名のみ現存)に編成しなおしたとされています。


 「詩経」は、周代(紀元前1046年頃 - 紀元前256年)前半の詩を集めて作られたため「周詩」とも呼ばれていますが、元々は舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われています。
 その構成は、黄河流域各地の民謡を収めた「風(ふう)」と、周の朝廷の宴会で歌われた「雅(が)」と、祖先の廟前で奏せられた「頌(しょう)」の三つに大別されます。
 「風」は、更に国や地域ごとに15の「国風」に区分されています。


 「蒹葭(けんか)」は、「国風」の中で、「秦(支那統一以前の『先秦』)」の小唄や民謡を収めた「秦風」の中の1詩です。

 筆者注:

 「蒹葭」とはオギとアシの意で、共に水辺に生える草で、その形はススキによく似ています。

 「蒹」がオギのことで、茅葺き屋根の材料になる草です。

 「葭」はアシのことで、スダレやヨシズの材料になる草です。


 この詩の内容は、会いたくても会えない「伊人(この人)」への尽きせぬ思慕の情を詠じたものです。
 「伊人(この人)」が具体的に何を指すのかについては「詩経」に説明はなく、古来様々な解釈がなされています。
 単純に「恋人」とする説、世俗を離れて隠棲した「賢者」とする説、秦に占領された周の旧領に取り残された周人の周の盛時への懐いを象徴しているとする説などがあります。
 また或いは水難で世を去った人とも解釈できる含蓄のある深遠な詩になっています。


 今回は、この3000年近くも前の詩に曲を付けて演唱しているものをご紹介します。
 作曲は黒竜江省出身の音楽家「Winky詩(1991年1月ー)」、古箏(こそう、グーチェン:琴のような楽器)の演奏と演唱は台灣の懷舊配音聯盟所属の女歌手「天涯初霽(てんがいしょせい)」です。


(白文)
 蒹葭


蒹葭蒼蒼,白露為霜。
所謂伊人,在水一方。
溯洄從之,道阻且長。
溯游從之,宛在水中央。


蒹葭萋萋,白露未晞。
所謂伊人,在水之湄。
溯洄從之,道阻且躋。
溯游從之,宛在水中坻。


蒹葭采采,白露未已。
所謂伊人,在水之涘。
溯洄從之,道阻且右。
溯游從之,宛在水中沚。


(訓読文)
 蒹葭(けんか)


兼葭蒼蒼(そうそう)たり 白露霜と為(な)る
所謂(いはゆる)伊(こ)の人 水の一方に在り
溯洄(そくゎい)して之に從はんとすれば 道阻(そ)にして且つ長し
溯游(そいう)して之に從へば 宛(ゑん)として水の中央(ちゅうあう)に在り


兼葭萋萋(せいせい)たり 白露未だ晞(かは)かず
所謂伊の人 水の畔(ほとり)に在り
溯洄して之に從はんとすれば 道阻にして且つ躋(のぼ)る
溯游して之に從へば 宛として水(みづ)の中坻(ちゅうち)に在り


兼葭采采(さいさい)たり 白露未だ已まず
所謂伊の人 水の畔(ほとり)に在り
溯洄して之に從はんとすれば 道阻にして且つ右(みぎ)す
溯游して之に從へば 宛として水の中沚(ちゅうし)に在り


(口語訳)
 水辺の草


水辺の草は青々と茂り 白い露は霜となる
我が思うこの人は 川の向こうに居る
川を遡って行こうとすれば 道は険しくかつ遠い
流れに随って渉って行けば あたかも川の中央にあるように面影が浮かぶだけ


水辺の草は寒々と茂り 白い露はまだ乾かない
我が思うこの人は 川のほとりに居る
川を遡って行こうとすれば 道は険しくかつ急峻である
流れに随って渉って行けば あたかも川の中州にあるように面影が浮かぶだけ


水辺の草は盛んに茂り 白い露はまだ降りやまない
我が思うこの人は 川の岸辺に居る
川を遡って行こうとすれば 道は険しくかつ遠くへ廻っている
流れに随って渉って行けば あたかも川の中州のほとりにあるように面影が浮かぶだけ




蒹葭 By 天涯初霽 / Winky詩(所謂伊人,在水一方)


 追記:

 1975年に公開された台灣映画「在水一方」の主題歌として、台灣の女歌手の江蕾(コウ ライ 1952年-)が演唱している同名の楽曲は、この「蒹葭」の詩を翻案した純粋な恋歌です。



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