伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

相思 (盛唐:王維)

 【背景は2月1日の伊賀山居の雪景色と唐小豆の画像】


 「相思 (そうし)」は、盛唐の詩人王維作の五言絶句です。
 「相思」とは、「お互いに思いあう」という意味と「相手を思う」という二つの意味があります。
 また、この詩の中に詠じられている「紅豆(こうとう)」の別名である「相思子(そうしし)」をも意味しています。
 つまり、「相思」と「紅豆」とは掛け言葉になっているのです。


 「紅豆」とは、古代支那の王朝からは「蛮夷の地」と呼ばれていた南国の嶺南(れいなん、現在の広東省、広西チワン族自治区、海南省とその周辺)に産する木或いはその木に出来る豆のことで、日本名をトウアズキ(唐小豆)というものです。
 この木には、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い豆ができます。


 この「紅豆」を別名「相思子」と称するのは故事に由来します。


 その故事を知らねば、この王維の詩は理解できませんので、以下、簡単にご説明します。


 昔、山川壮麗で農産物も豊かな嶺南に仲睦まじい若い夫婦が住んでいました。

 この地方は、北方の漢王朝が占領して支配するところとなりました。

 夫は、漢王朝に徴兵されて、雪の降り積もる北方辺塞の守備兵として出征しました。

 妻は、毎日村外れの木の下で、夫の帰りを待ちました。

 夫と同時に徴兵された男たちが次々と帰って来ますが、夫だけは帰って来ません。

 夫が戦死したという知らせを信じられない妻は、何日も何日も木の下で待っていました。

 やがて妻は、血の涙を流して、木の下で息絶えてしまいました。

 そのことがあってから、春が来るたびに、その木には赤い豆が実るようになりました。

 村の人々は、その豆は妻の血涙が凝縮してできたのだと言い交し、その豆を「相思子」と名付けて不憫な夫婦の冥福を祈りました。

 以上の故事を踏まえて、南国に居る妻のことを想う北辺の積雪地にいる夫の立場で詠んだ詩が、王維の五言絶句「相思」です。


 なお、詩中に見える「采(と)り擷(つまばさ)めよ」との詩語は、「摘み採って衣の裾或いはポケットに蓄えよ」との意です。決して「食せよ」の意ではありません。



 相思              
             王維 
紅豆生南國,
春來發幾枝。
願君多采擷。
此物最相思。


紅豆(こうとう) 南國に生じ,
春 來(く)れば 幾枝(いくし)を 發(はっ)す。
願はくは 君 多くを 采(と)り擷(つまばさ)めよ。
此の物 最も 相い思はしむ。


紅豆は 遙か南の故国に生ずる,
春が來れば 幾つもの枝に実を付けるだろう。
君が多くを摘み取って 衣にくるんで蓄えるよう願っている。
この物こそは互いに思いあう相思の豆で 最もよく別離の心を慰めてくれるのだから。




momo親子台官方影音│momo唱唐詩【相思】王維


 【唐詩三百首】

追記:

 「紅豆(唐小豆)」には、毒性が有るので、殺虫剤にはなりますが食用にはなりません。

 日本の小豆も紅い豆ですが無毒で栄養が豊富なので、相手を思いながら大いに食してください。