武道館の神秘と憂愁
上掲のパンフレットは、1970年10月10日、当時の祝日「体育の日」に、日本武道館で開催された第1回世界空手道選手権大会のもので、伊賀山人が後生大事に46年間も保管しているものです。
この大会は、パンフレットの下の方に記載されているように、「全日本空手道連盟」が主催しています。
世界33箇国から代表が集まった世界大会でありながら、何故、「世界空手連盟」が主催していないのかが長年の疑問でした。
なお、この時は、中華民国(台湾)と香港からそれぞれ11名が参加しているのが目を引きます。中共は国家ではなく、暴力革命を企む反乱軍の集団という扱いでしたので、当然、国交もありませんでした。
本日、スペインのマドリード(ラ・マンチャではありません。)にある「世界空手連盟」のサイトを見て、疑問が解けました。
実は、「世界空手連盟」は、全日本空手道連盟とヨーロッパ空手連盟が協議を重ねて設立したもので、その発足は、何と、この大会当日だったのです。
まだ存在していない世界空手連盟になり替わり、全日本空手道連盟が大会を企画・開催しものですが、その後、当日発足した世界空手連盟がこの大会を追認したことから、現在、この大会こそが、第1回世界空手道選手権大会であるとして、世界中に知れ渡っているのです。
世界空手連盟のサイトにも、連盟の歴史のページにこのパンフレットが、連盟の発足と第1回世界大会の説明と共に掲載されています。ただし、スペインでは、実物を所有していないようで、画像はモノクロ写真のものです。
これで、主催者についての疑問は、氷解しましたが、未だに解けない謎があります。
上記は、その時の演武出演者の名簿です。
出演者には、東恩納盛男、摩文仁賢栄、藤本貞治、金城裕、大塚博紀、山口剛玄など空手史に名を残す錚々たる師範が名を連ねています。
実は、不肖伊賀山人も、日本空手協会の中山正敏首席師範の要請により、「銃剣取り」という演武でこの大会に参加したのですが、名簿に名前がありません。
昔のことでもあり、自分の記憶違いかとも考えましたが、試合の部に参加していないことだけは確かです。
伊賀山人、今どきの若い方のように他人の試合を見て勇気を貰うような便利な特技は持ち合わせていませんので、物見遊山の試合見物に行くはずもなく、やはり、演武で参加しています。
山口剛玄師範の三戦転掌の形の前後で出演した記憶があるのですが、飛び入り扱いだったのか何なのか、中山師範亡き今となっては、確かめる手段もありません。
これこそが、人類の英知を結集しても永遠に解けることのない、「武道館の神秘と憂愁」なのであります。
???・・・
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