インド(親日の国)
【タージ・マハル】
大東亜戦争中のインドにおける最大の作戦は、インパール作戦でした。
この作戦は、イギリス軍15万の大軍が占拠するインド北東部の都市インパール攻略を目指して、日本軍9万とインド国民軍約6千との連合軍が進軍したものです。
結果としては、日本側の兵站線(補給路線)が伸びきり、補給が続かなくなって、大損害を出して、撤退することになりました。
インドでは、この作戦を「対英インド独立戦争」として位置付けており、この作戦があればこそ戦後インドは独立できたのであると考えられています。
そのため、インドにとっては、当時の日本軍はインド独立を支援した解放軍であり、“日本が侵略戦争をした”などという歴史観をもってはいません。
インド解放のためにイギリス軍と戦った日本軍将兵に対して、インド国民軍全国在郷軍人会代表で元インド国民軍S・S・ヤダバ大尉は、1998年1月20日に次のように記しています。
「われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます」(靖国神社)
また日英両軍の大激戦地の一つであったマニプール州ロトパチン村のモヘンドロ・シンハ村長は次のように語っています。
「日本の兵隊さんは飢えの中でも実に勇敢に戦いました。そしてこの村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動のすべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。私たちはいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています。そのためここに兵隊さんへのお礼と供養のため慰霊塔を建て、独立インドのシンボルとしたのです」 (『自由アジアの栄光』)
インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残しています。
「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」
インドではかの開戦時の元首相で戦後連合軍の報復裁判によりA級戦犯として絞首刑に処せられた東條英機元首相が感謝されています。
平成18年3月19日、カルカッタ(現在のコルカタ)のチャンドラ・ボース記念館で「東條英機に感謝をする夕べ」が催されました。そこには、館長であるチャンドラ・ボース(元自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官)の甥の嫁クリシュナ・ボース氏に招待された東條首相の孫娘・東條由布子氏の姿がありました。
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