伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

皇后陛下と水仙(16年の時を経て)

【伊賀山人大花園のラッパ水仙】
 伊賀山人大花園には、日本水仙に引き続き、ラッパ水仙が花を開きました。
 この花を見ると、東日本大震災時の皇后陛下と水仙のことを思い出します。


【被災者から水仙の花をお受け取りになる皇后陛下】
 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波は、死者・行方不明者18,446人(震災関連死を除く)、建築物の全壊・半壊は合わせて401,885戸に上る未曾有の大災害をもたらしました。


 天皇、皇后両陛下は、被災者へのお見舞いを強く望まれて、4月27日、その嚆矢として宮城県内の避難所を訪問されました。
 この日、仙台市の宮城野体育館において、皇后陛下は被災者の佐藤美紀子さんから水仙の花束を贈られ、東京にお持ち帰りになりました。


 花束を贈った佐藤美紀子さんはこの日の朝、津波で流された自宅の跡地を見に行った際、水仙が今年も花をつけているのを見つけて避難所に持ち帰ったそうです。
 そして、佐藤さんが「この水仙のように私たちも希望を持ってがんばります」と話し、10輪ほどの花束を差し出し「もらっていただけますか?」と申し上げると、皇后陛下は「ちょうだいできますか?」と丁寧にお尋ねになり大事そうに持ち帰られました。


 佐藤さんの談話によると、16年前の阪神淡路大震災の際、天皇皇后両陛下が、現地を訪問された時、皇后陛下が皇居の庭に咲いていた水仙を摘んで持参され、それを被災地の崩れ落ちた建物の上にそっとお供えされていたのを記憶していて、自宅跡に咲いていた水仙を花束にして手渡したとのことです。
 皇后陛下ご自身も、当然そのことはご記憶になっており、被災者からの思わぬ贈り物に笑顔を浮かべられ、東松島市の基地から自衛隊機で東京に還幸される際も、水仙の花束を両手で握りしめていらっしゃったそうです。


 水仙の花そのものは、伊賀山人の庭にも咲くようなどこにでもある花で、大した価値はありません。
 花そのものではなく、花に込められた皇后陛下や佐藤さんの気持の方に大きな価値があるのです。


 「瓦礫の中に咲く水仙のように私達も希望を持って頑張りますので、両陛下もご安心ください」という佐藤さんの真心が花を介して伝わるところに、何物にも代えがたい価値があるものと考えます。


 佐藤さんが渡した水仙は、花心の長い「ラッパ水仙」です。


 ラッパ水仙の花言葉は、「希望」と「尊敬」。
 贈る方も贈られる方も、共にそのことをご存じであったものと推察致します。



 「皇后陛下と水仙」の前編はこちら↓