伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

鯉のぼり(弘田龍太郎作曲)


 「鯉のぼり」は、大正2年(1913年)5月28日に発行された『尋常小学唱歌』第五学年用に掲載されている文部省唱歌です。


 文部省唱歌は合議制で作られるのを常としていたため、この唱歌も従来作詞・作曲者は不明でしたが、後の研究により作曲者については大正2年に東京音楽学校ピアノ科の2年生であった弘田龍太郎21歳であると解っています。
 このことにより、弘田龍太郎の故郷高知県安芸市溝ノ辺公園には、平成2年10月にこの唱歌の楽譜と三番までの歌詞が刻まれた歌碑が建てられています。


 【高知県安芸市溝ノ辺公園の「鯉のぼり」の歌碑】


 この唱歌の歌詞の内容は、鯉のぼりの雄大さをたたえ、男児が鯉のぼりのように雄々しく成長するようにという願望を詠ずるものです。
 なお、詞中に見える「甍(いらか)」とは瓦を使った屋根、即ち瓦屋根のことです。
 また、「竜になりぬべき」とは、支那の「竜門」の伝承を踏まえたものです。
 「竜門」とは、黄河中流の両岸に山が聳え立ち門のように見える場所で、非常に流れが急峻で、魚もなかなかこれを登りきれません。
 その竜門を登りきった魚は化して竜となるという伝承があります。
 後に著された『後漢書(ごかんじょ)』「李膺(りよう)伝」にこの伝承が引用されて、人の立身出世や成功への関門を「登竜門」というようになりました。


 この唱歌は文語調で格調高く歌い上げていますが、子供には分かりにくいことから、今では1931年(昭和6年)12月に刊行された『エホンショウカ ハルノマキ』に掲載されている「屋根より高い鯉のぼり~」で始まる「こいのぼり」と題する唱歌の方がよく歌われています。
 なお、こちらの方も作詞・作曲者は不明でしたが、作詞については近藤宮子であることが判明しています。


 今回は、文語調の「鯉のぼり」の方を、倍賞千恵子の演唱でご紹介します。



 鯉のぼり
 鯉魚旗
        作曲者:弘田龍太郎 作詞者:不明 演唱:杉並児童合唱団
1.
甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
橘(たちばな)かおる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり。

屋頂瓦的波浪和白雲的波浪,
重疊的波浪的空中,
柑橘散香向晨風,
高天游,鯉魚旗。


2.
開ける広き其の口に、
舟をも呑(の)まん様見えて、
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には、
物に動ぜぬ姿あり。

開的寬廣的其口,
也看見能呑船,
豐富地樣子向尾鰭,
有不動搖的身姿。


3.
百瀬(ももせ)の滝を登りなば、
忽(たちま)ち竜になりぬべき、
わが身に似よや男子(おのこご)と、
空に躍るや鯉のぼり。

百川瀑布上行,
疏忽將成為竜,
與這個鯉魚應相似男子,
與天空跳哉鯉魚旗。




~鯉のぼり(いらかの・・・)~ 倍賞千恵子