伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

阿弥陀三尊(西方三聖)

 【雲中阿彌陀三尊圖】


 前回の記事「媽媽(お母さん)」に添付した動画の中に見える「阿弥陀三尊」についてご説明します。


 「三尊」とは、仏像配置の一形式で、「中尊(中心の仏=如来)」と左右の「脇侍(きようじ:通常は菩薩)」との三者一組からなる仏体のことを言います。
 「三尊」には、中尊の如来別に「阿弥陀三尊」「薬師三尊」「釈迦三尊」などいくつかの種類があります。


 「阿弥陀三尊(あみださんぞん)は、西方極樂浄土の教主である阿弥陀如来を中尊として、その左右に左脇侍(阿弥陀様から見て左、正面から見ると右になる)の観世音菩薩と、右脇侍(正面から見て左)の大勢至菩薩を配する三尊形式で、漢文化圏では「西方三聖」とも呼ばれています。
 因みに「東方三聖」とは、東方凈琉璃世界の教主である藥師如來を中尊とする「藥師三尊」のことで、左脇侍が日光遍照菩薩,右脇侍が月光遍照菩薩です。
 また、「華嚴三聖」と言われるものは、華藏世界の三尊からなり、中尊が毗盧遮那佛、左脇侍が文殊師利菩薩、右脇侍が普賢菩薩です。


 「如来」とは「仏」と同義語で、「悟りを開き、真理に達した者」を意味します。
 これに対し、「菩薩」とは本来は「悟りを開いて如来になる」ことを目指して修行している者を言います。


 このため、それぞれの姿は、如来があらゆる煩悩から解脱しているため一切の装身具を身に付けないのに対し、菩薩は宝冠から始まりイヤリング、ネックレス、ブレスレットなど様々な宝飾類で身を飾っています。


 「阿弥陀三尊」においても姿形は阿弥陀様と両菩薩とでは異なっていますが、観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、大勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされていることから、三者ともに如来(仏)に相当すると看做して、「阿弥陀三尊”仏”」と呼ばれることもあります。


 脇侍の両菩薩の姿形は互いに極めてよく似ていますが、一般に観音菩薩は、頭上の宝冠の正面に阿弥陀の化仏(けぶつ:小さな仏の形像)を表し、大勢至菩薩は同じ位置に水瓶を表すことで区別していますが、絶対的なものではなく、仏画・仏像を見ると全く同じ容姿のものもあります。


 阿弥陀様の任務は、信者の臨終の際に多くの菩薩を従えて俗界に来迎(らいこう:所謂「お迎え」)して信者を西方の極楽浄土に導くことが世上知られていますが、それだけではなく、衆生の救済の為しばしば俗界を訪れています。
 その際の、阿弥陀三尊の主要な交通手段は「雲」です。


 他の如来や菩薩はそれぞれ自分の職場で説法に勤めることが多く余り遠出はしませんので、その台座は蓮華の花をかたどった「蓮華座(れんげざ)」が一般的ですが、出張の多い「阿弥陀三尊」に限っては雲を装飾化した「雲座(うんざ)」がよく使われます。
 上掲画像のように、雲座に乗った三尊像であれば、ほぼ間違いなく「阿弥陀三尊」です。
 下掲画像のように「蓮華座(れんげざ)」に乗ったままで、更に「雲座(うんざ)」に乗っている場合もあります。



 【蓮華座に乗る阿弥陀三尊】


 「阿弥陀三尊」は衆生にとっては最も身近な三尊ですが、阿弥陀様は西方浄土での浄土管理業務でお忙しく俗世への出張時間を取るのが難しいので、衆生救済の殆どは脇侍の観世音菩薩をお遣わしになります。
 それでも偶には、業務の合間を見て自らお出ましになる場合もあります。


 今夜、若しあなたの夢の中に阿弥陀様ご自身がお見えになったとしても、「あ~ もうお迎えが来た~ 急いで極楽浄土行きの荷物をカバンに詰めなくては~」などと慌てる必要はありません。
 阿弥陀様が極楽往生の為のお迎えに来る時には西方浄土の慣例に従い、定められた印相(いんそう:指の形)を示すことになっています。
 来迎時の印相は、「来迎印」と言われるもので、下掲画像に見えるように右手を上に左手を下にして、それぞれ親指と人差し指とで輪を作ることになっています。


 この形でなければ、往生の為の来迎ではなく救済の為のお出ましですので、あなたの抱える困りごとや悩み事などを具に相談されるとよいでしょう。


 

  【阿弥陀如来の「来迎印」】