伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

春夢(唐詩:岑參作)


 立春の日にあたり、春に因んだ漢詩を一首ご紹介します。
 今回ご紹介する「春夢」は、盛唐の詩人岑參(しん じん、715年 - 770年)の作品です。


 この詩には複数の意味を持つ詩語が盛り込まれており、様々な解釈が可能な含蓄のある作品です。


 まず、詩題に見える「春夢」とは一般的には文字通りに春に見る夢ですが、日本語でも春画とか思春期とかの用法があるように、かなり艶めかしい意味合いを表わすこともあります。
 また、「美人」とは、美女のことを指す場合もあれば、女に限らず「賢人」や「理想の君主」の意で使われることもあります。


 「湘江」とは、支那南方を西から東へ流れる長江の南にある川の名で、洞庭湖を経由して長江の下流域(揚子江ともいう。)に流れ込んでいます。
 湘江は、神話の時代の名君主で聖人とあがめられた皇帝:舜(しゅん)が没した時に、その死を悲しんだ二人の妃娥皇(がこう)と女英(じょえい)がこの川に身を投じ、以後この川の神となったという伝説のある川です。


 「江南」とは、長江の南側地域一帯を指す地名で、湘江や洞庭湖もこの地域に含まれています。


 この漢詩を一つの意味で解するのは難しいのですが、今回も伊賀流の解釈で、湘江の川辺に住む美女を思う男の詩として訳してみました。


 春夢  

            唐・岑參

洞房昨夜春風起,

遙憶美人湘江水。

枕上片時春夢中,

行盡江南數千里。



 春夢


洞房(どうばう)昨夜 春風(しゅんぷう)起こり,
遙(はるか)に憶(おも)ふ美人 湘江(しゃうかう)の水。
枕上(ちんじゃう)片時(へん じ) 春夢(しゅんむ) の中,
行(ゆ)き盡(つ)くす江南(かうなん) 數(すう)千里。



 春夢


彼女の部屋の奥深くまで、昨夜は春風が吹いたことだろう、
遥か遠くの地から麗しの人と、女神が住むという湘江の川の流れに思いを寄せている。
枕に頭を乗せてまどろむ束の間に見る春の夢の中で、
私は彼女の住む数千里の彼方の江南の地までたどり着いていた。



 擬春夢

           伊賀山人作

玉房昨夜春風起,

遙憶麗人牛欄水。

枕上片時春夢中,

行盡海南數萬里。