伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

光陰矢の如し(宋詞《行香子·秋與》より)

 


 「光陰矢の如し」とは、宋詞《行香子·秋與》に見える成語です。
 この宋詞以前にも、中唐の詩人李益作の五言詩《遊子吟》の中に「君看白日馳,何異弦上箭。(君 白日の馳せるを看よ、何ぞ弦上の箭に異ならん。)」とあり、日月の動きや昼夜の繰り返しなどの目まぐるしい時の流れを矢に例える表現は唐代以前からあったようですが、「光陰如箭〔光陰箭(や)の如し〕」と明示しており、かつ作者と年代がほぼ正確に知られているのは、伊賀山人の知る限りこの宋詞が初出です。


 《行香子·秋與(ぎょうこうし・しゅうよ)》は、支那北宋代の政治家であり詩人であり書家でもあった蘇軾(そ しょく、1037年1月8日-1101年8月24日)が書いた詞(し:ツー)と呼ばれる韻文です。


 蘇軾は、自ら東坡居士と号したことから蘇東坡(そとうば)とも呼ばれています。


 蘇軾は非常に多才な人で、詩詞だけではなく書や文も故宮博物院に収蔵されるような当代一流のものを残しており、宋代最高の文人と言われています。
 また、政治家としても卓越した手腕を持って宋朝の中央政界で活躍しましたが、政争に敗れることも多々あり、僻地での左遷生活を何度も経験しています。


 この《行香子·秋與》も、1094年に当時の平均寿命からすると既に晩年と言える57歳になって恵州(現在の広東省)に流され、その翌年の夏に重篤な痔疾を患い殆ど寝たきりの状態となって気が付いて見れば既に秋も深まっていることに、自らの来し方を振り返り時の流れの早さを感じて書き上げたものです。


 詞(し:ツー)とは、宋代に隆盛を見た韻文詞で、1首の中の各句の文字数や、平仄(アクセント)、押韻などが厳格に規定された韻文で、元々は既成の曲に合わせた替え歌のようにして作られたものです。
 詩と区別するために、「ツー」とも「詩余(しよ)」とも呼ばれています。
 詞(し:ツー)のために作られた曲の名称を「詞牌(しはい)」といい、詞牌の数は全部で826調ありますが、同一詞牌で形式の異なるもの(同調異体)を数えると2306体あると言われています。
 それぞれの詞牌を区別するために、「虞美人」、「竹枝」、「鶯啼序」、「行香子」などの曲名が付けられています。
 詞(し:ツー)は、それぞれの詞牌ごとに定められた形式に従って作られますが、その内容は必ずしも詞牌の曲名通りとは限りません。
 詞の内容が詞牌の曲名と異なる場合には詞牌の下に詞題が添えられたり、小序が作られたりしました。


 《行香子·秋與》とは、詞牌が「行香子」で、その内容が「秋與」であることを示しています。
 「行香子」とは「道行く香り高き麗人」というほどの意で、「秋與」とは「秋の風物に接して起こる感興」を意味しています。
 なお、「行香子」は又の名を「爇心香(ねつしんこう:心を燃やす香)」とも称しますが、形式は同じで、前段後段それぞれ33文字、合計66文字からなる韻文です。


 蘇軾の《行香子·秋與》は、前段で昨夜吹いてきた晩秋の冷たい秋風を擬人化して作者との対話形式で「悲秋」を表現しています。後段では翌朝庭に出て来し方を振り返りつつ時の流れの速さを「光陰如箭〔光陰箭(や)の如し〕」と表現して深まりゆく秋の日と残り少ない人生の感懐を詠じています。
 「悲秋」とは、古来詩人の永遠のテーマですが、蘇軾は天性のユーモリストですので、ただ悲嘆にくれているわけではありません。
 この詞でも、結句では、酒と老眼とロウソクの炎を三つの花にたとえて、あれこれ思いわずらわずに余生はその三つの花に任せてしまおうとユーモラスに結んでいます。


 なお、この《行香子·秋與》は、現在伝えられている版本が2種類あり、「光陰如箭」の一句の代わりに「飛英如霰(花房の飛ぶこと霰(あられ)の如し)」とするものもありますが、これでは時の流れに「光陰矢の如し」と譬(たと)えられる早さを感じられませんので、今回は「光陰如箭(こういんじょせん)」とある版本の方でご紹介します。
 詞中に見える「不語書空」とは《世說新語》の故事に由来する成語で「胸中に言葉に出来ない憤懣があって、人に知られないように空中にその不満を書いている」ことを意味しています。



白文:
行香子·秋與
              蘇軾
昨夜霜風,先入梧桐。
渾無處、迴避衰容。
問公何事,不語書空。
但一回醉,一回病,一回慵。


朝來庭下, 光陰如箭,似無言、有意傷儂。
都將萬事,付與千鍾。
任酒花白,眼花亂,燭花紅。



訓読文:
行香子(ぎょうこうし)·秋與(しゅうよ)
                              蘇軾(そしょく)
昨夜の霜風,先に梧桐(ごとう)に入る。
渾(すべ)て、衰容(すいよう)を迴避(かいひ)する處(ところ)なし。
公(きみ)に問う何事ぞ,語らず空に書くかと。
但だ一回の醉,一回の病,一回の慵(よう)なりと。


朝來たりて庭に下れば, 光陰箭の如し,言無く意有りて儂(われ)を傷(いた)ましむるに似たり。
都(すべ)て萬事を將(と)りて,千鍾(せんしょう)に付與(ふよ)せん。
酒花は白く,眼花は亂れ,燭花は紅(くれない)なるに任さん。



現代口語訳:                 
行香子(ぎょうこうし)·秋の風物に接して起こる感興
                                   蘇軾
昨夜の骨身にしみる冷たい秋風は,先に青桐の葉に吹きつけてきた。
舞い落ちる葉は私の老衰した顔に降りかかって來るが、それを避ける場所もない。
秋風が私に問いかける「君はどうして何も語らずに、不満げに空中に指で文字を書いているのか」と。
私は答える「ただ酔っているだけ,病んでいるだけ,物憂いだけなのだ」と。


朝が來て庭に下りてみると,時の流れは矢のように早く感じられ,その矢は何も言わないが何かの思惑があって私の心を傷つけようとしているかのようだ。
世の中の全て諸諸のことどもは、千杯の酒で流してしまおう。
酒を注いだときの泡が作る花は白いままに、老眼で見える朦朧とした花(視線)は乱れるままに、蝋燭の炎が象る花は紅(くれない)のままに放っておくことにしよう。