伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

雑草の歌

 【伊賀山人の庭に咲くハハコグサ(母子草、別名:御形・鼠麹草)】


 「雑草の歌」は、1976年(昭和51年)に発表された美空ひばり〔みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日〕の楽曲です。


 この歌の作詞者名は「加藤和枝」、つまり美空ひばりの本名です。
 美空ひばりこと加藤和枝は、その生涯で余り多くはありませんが詩を詠んでいます。
 美空ひばりが作詞し、生前に曲が付けられたものは22曲あり、他の歌手への楽曲提供を除くと18曲を自ら歌っています。


 この「雑草の歌」もその中の1曲です。


 「歌謡界の女王」の異名をとり、その死後は女性初の国民栄誉賞を受賞することになる美空ひばりも、この当時は実弟の起こした不祥事などにより、全国の公会堂や市民ホールから会場の使用を拒否されるなどバッシングの嵐に曝されておりました。
 マスコミもこれを大きく取り上げたことから、16年間連続出場し11回大トリを努めた紅白歌合戦も出場を辞退せざるをえず、NHKを始め殆どのマスメディアから姿を消していた失意の時期でありました。


 そのような時に、自分を雑草になぞらえて、「今まで踏みつけられ叩かれて、私は強い女になったのだ。咲かずに散ってたまるものか!」と主張して逆境に立ち向かう歌謡界の女王の意地と矜持を示したのが、この「雑草の歌」なのであります。


  なお、以下の動画には漢訳の字幕がありますが演唱用に意訳されていますので、動画の下方に別の漢訳を添付します。




雑草の歌~美空ひばり



 雑草の歌(雜草之歌) 
          1976年(昭和51年)作詞:加藤和枝  作曲:遠藤実
                  演唱:美空ひばり(美空雲雀)                     


1節
生まれて今日まで 耐えてきた  (自出生起忍受煎熬至今日)
こんな涙を 誰が知る      (這樣辛酸的淚水有誰能明瞭)
踏まれながらに 生き抜いて   (於被踐踏之中掙脫而出)
路ばたにはえる 草のよな    (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました     (蛻變而成堅強的女人)


2節
咲かずに散っては いけないと  (不可未綻放即飄零而去)
そんな自分に むちを打つ    (這就是我如此鞭策自己)
辛いこの世を 生き抜いて    (於艱辛世道之中掙脫而出)
路ばたにはえる草のよな     (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました     (蛻變而成堅強的女人)


3節(台詞)
私のこの体の中には          (在我身軀之中)
日本に生まれた古い血が流れています  (流著台灣自古以來相承的血脈)
そんな人間の少なくなった今日でも   (即使現今如此之人已是少見)
おてんと様だけは           (唯有太陽是)
私を照らしてくれました        (一直照耀著我)


附節
辛いこの世を 生き抜いて  (於艱辛世道之中掙脫而出)
路ばたにはえる草のよな   (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました   (蛻變而成堅強的女人)



  雜草詩
       伊賀山人作七言古詩平水韻上聲皓
諸佛菩薩慈悲皓
一直照耀雲中道
艱難辛苦何足懼
路邊綻花厝角草