伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居する隠者の戯言です。

伊賀山人回顧録(小原台の青春その15:21歳の秋開校祭)

 開校祭も某大の主要行事の一つである。
 そのメインは、パレードを伴う式典であるが、その他に各運動部や文化部の活動状況の紹介、棒倒しなどの競技、各種コンテスト、前夜祭など盛りだくさんの行事がある。


 伊賀山人は、前夜祭には毎年空手の演武で参加していた。
 その後、ギャラの安い新人歌手によるコンサートで前夜祭のお開きとなるのが、通例であった。


 1972年(昭和47年)の前夜祭コンサートに来校したのは、期待の新人グループ「赤い鳥」であった。



 【卒業アルバムから「赤い鳥」】
 当時は、クラシック歌手のように直立不動で歌うのが一般的であった。


 【同じく卒業アルバムから「赤い鳥」のボーカル平山泰代】
  この1年半後、平山泰代は同じグループのギタリストでありかつ高校の同級生でもあった後藤悦治郎と結婚する。
 更にその半年後、赤い鳥が解散してからは夫婦デュオ「紙ふうせん」を結成して現在に至る。


 因みに、それ以前に招いた歌手も卒業アルバムに挙げられていたので、紹介する。
 いつのことであったのか、また誰であったのか記憶に定かでないものもある。

 【昭和44年森山良子、森山直太郎のお母さん】
 この当時は、若さの漲る健康的な体型を保持していた。



 【年度不明 千賀かほる?】


 【年度不明 荒井由美?】


 前夜祭から一夜明けると、開校祭である。

 【学生舎前の大通りの風景】
 自主自立の精神と言えば聞こえが良いが、予算が少なかったので、飾りつけなどは全て学生が手分けして準備した。


 この大通りの風船の飾りつけ責任者は伊賀山人であるが、知らぬ間に風船の中に幾つか突起のあるものが混入していた。
 多数の子供連れの来客が風船の下を往来し始めてから、それがコンドームであることが判明して、指導教官に呼びつけられて怒られた。
 断っておくが、伊賀山人が混ぜたわけではない。 

よい子のみんなは、コンドームをふくらませて遊ばないでね~


 【棒倒し】
 棒倒しは、開校祭の花であった。
 大隊対抗で、ほぼ全員が参加したが、殴っても蹴ってもよい格闘技のようなものなので、空手部員は参加禁止になっていた。
 従って、伊賀山人は練習以外では出場したことが無い。
 なお、少林寺拳法とボクシングは、本物の武術とは見做されていなかったので、それらの部員は棒倒しに参加できた。



 【棒倒しの練習】
 たかが棒倒しであるが、味方を攻撃、防御、遊撃などのグループに区分して、攻撃方向や棒に取りつく要領などの戦術判断があるので、何日も前から作戦計画を練り、訓練に励んだ。



 【ミスター某大コンテスト会場】
 容姿端麗、成績優秀、品行方正な学生が各大隊から選抜されて、パフォーマンスを繰り広げ、その真価を競う「ミスター某大」コンテストである。



 【居取りの演武】
 もちろん、伊賀山人は第4大隊400名の学生全員の推薦を受けて参加した。
 空手の演武や試割り、ヨガのポーズなどを披露した。



 【見渡す限りの観客、総員5名】
 観客数、僅かに5名、選手と同数である。
 如何にマイナーなコンテストであったかが分かってしまう。


 【表彰台に上がる伊賀山人】
 真っ先に呼ばれたので、優勝かと勘違いした。



 【受賞者3名】
 受賞者が決定して、3位から準優勝、優勝の順に壇上に上がった。
 右端のような、ゲテ物が入賞するのであるから、如何にいい加減なコンテストであったかが分かる。



 【トロフィーを手にする伊賀山人】
 結果は、第3位であった。
 ま~ビリにはならなかったので良しとするか。


 【ミスター某大第3位】
 こんな可愛いトロフィーを貰ったのは、後にも先にもこの時だけである。
 残念ながら、このトロフィーは何処へ行ったか、行方不明である。


 それまで「先生」と呼ばれていた伊賀山人は、このコンテストから後は、周囲から「ミスター某大」とも呼ばれるようになった。
 しかしながら、この呼称も尊敬の念によるというよりも、やはり「空手バカ」への、からかい半分のものであったように思う。



 【「ミスター某大」入賞祝賀会】
 中隊の集会室を勝手に占領しての「ミスター某大」入賞祝賀会を兼ねた開校祭の打ち上げ会である。


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