伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

伊賀山人料理教室(フルーツゼリー編)


 今回は、フルーツゼリーの作り方についてご紹介します。
 これも伊賀山人生まれて初めての試みで、教訓事項も多々あります。



 【材料】
ゼラチン:     5グラム入り2袋
フルーツ缶詰:   一缶
砂糖:       3グラム入り3袋
水:        300CC


材料費合計: 約200円



 まず、300CCの水を沸騰させてから、火を止めます。
 湯の中に、砂糖6グラムを入れて溶かします。



 更に、ゼラチン10gを入れて溶かします。
 この時の湯温があまり高いと固まりにくくなるので、少し冷まして80℃から90℃くらいにした方が出来上がりが良くなります。



 更に、フルーツ缶詰1缶の中身を汁ごとそのまま入れます。
 フルーツ缶詰の種類は何でも構いませんが、ゼラチンの量は、湯の量と缶詰に入っている水分量とを足し合わせて、300CCあたり1袋(5グラム)を基準に調整します。



 手早く混ぜ合わせます。



 深い皿など適当な容器に移します。
 この時、鍋から直接入れると、容器の外に零れて悲惨なことになります。
 容器ごとのフルーツ量の調整も必要なので、必ず、お玉杓子を使いましょう・



 容器を室温くらいまで冷やします。
 急ぐときは、鍋などに水を入れてそれに浸けます。



 冷蔵庫で、1時間くらい冷やすと固まります。



 冷蔵庫から取り出した容器を湯につけて暖めます。
 余り暖め過ぎると、ゼリーが想定外に融けてしまうので、大体1分以内にしておきます。



 容器に少し大きめの皿を被せて、ひっくり返します。



 これで完成ですが、上の写真の例では、湯につけて暖めすぎてゼリーのかなりの部分がスープになってしまいました。



 フルーツゼリーの良し悪しは、食べてみなければ解りません。


 初の試みにしては、甘さ控えめでまずまずの出来ですが、ゼリーがやや硬いようです。
 ゼリーの量は、水分400CC~500CC位に1袋(5グラム)でもよいように思います。
 また、砂糖の量は伊賀山人好みで少量(9グラム)にしていますので、普通の味にするには約30グラムくらい入れたほうが良いでしょう。


 伊賀山人料理教室、今日はここまでとします。m(__)m


ハナミズキ(花水木:四照花)

   
 「ハナミズキ」は、日本のシンガーソングライターの一青窈(ひとと よう、台灣名:顏窈〔がん よう:イェン・ヤオ〕1976年9月20日 - )が自身5枚目のシングルとして2004年2月11日に発表した楽曲です。
 2010年8月には、この楽曲のイメージを実写化した映画が公開されて、興行収入27億円を超える大ヒットとなっています。


 一青窈は台湾生まれで、台湾人の父親の顏恵民(がん けいみん:イェン・フイミン、1928年 - 1985年)の姓を引き継いで「顏窈(がん よう:イェン・ヤオ)」と名付けられました。
 幼稚園卒園後に父親を台湾に残し、日本人の母親・姉と日本で生活することとなりました。
 小学校2年生の時に父親が肺癌で死去してからは、母親の姓の一青(ひとと)を名乗っています。
 「一青」とは、珍しい姓ですが、母親の出身地石川県発祥の名字で、石川県鹿島郡に地名としても存在します。(鹿島郡鳥屋町一青、2005年3月1日からは鹿島郡中能登町一青)
 その母親も、一青窈が高校生の時に癌で亡くなっています。


 なお、一青窈の国籍については、彼女が生まれた1976年当時の日本の国籍法は「父系優先血統主義」を採っていたので、「父母両系血統主義」を採っていた台灣(中華民国)の国籍になり、台灣の戸籍に「顏窈」と名付けて記載されていた筈です。
 1984年の日本の国籍法改正で、日本も「父母両系血統主義」になったので、その後日本国籍を取得して日本の戸籍に「一青窈」と名付けて届け出ているものと思われます。
 その後、台灣で国籍離脱の手続きをして「国籍喪失許可証書」を取得していなければ、今でも二重国籍状態ですが、嘗ては国会議員でも蓮舫(れんほう)のように台湾との二重国籍の者もいたくらいなもので、大した問題ではないでしょう。


 父親は台灣新北市に位置する山間の町九份(きゅうふん、チウフェン)の金鉱経営で成功し台湾の5大財閥に数えられた顏一族の長男でしたので、一青窈も経済的には恵まれていたようです。
 しかしながら、両親共に早世したため家庭的には寂しかったようで、そのことが作風にも少なからず影響しています。


 「ハナミズキ」の歌詞は、詞語そのものは小学生にも解る平易なものですが、それらを組み合わせた各句や節は、省略が多く包括的で文意を掴みにくい難解なものです。


 この歌詞を読み解くヒントは、歌詞の創作背景にあります。
 一青はこの詞を、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の発生直後、二ューヨークにいた友人からのメールをきっかけに、一週間ほどで書き上げました。
 作詞当時は、A4用紙3枚にも及ぶ長いもので、その内容は「テロ」・「散弾銃」といった詞語を羅列してテロリストへの怒りを詠ずる、一青本人の言によれば「挑戦的な詞」であったといいます。
 その後、2年半の間に推敲を重ねて詞語を削り、「君と好きな人が百年続きますように」の言葉にたどり着いた時には、最早テロリストへの恨みの詞ではなく、犠牲者の立場で残された家族への祝福のメッセージへと昇華していました。


 詞題の「ハナミズキ」は、多発テロとは無関係で、一青が慶応義塾大学の学生であった頃、しばしば訪れた東京都世田谷区の二子玉川にあるレストランやファッション雑貨の店などの入った商業ビル「ドッグウッドプラザ」に因んでいます。
 「ドッグウッド」とは英語でハナミズキの意であり、この店舗名が付けられたのは、二子玉川のシンボルの花とされているのがハナミズキであったことによります。


 ハナミズキは、 一青窈の青春時代を彩っていた思い出の花なのです。
 楽曲「ハナミズキ」の歌詞は、包括的で詞的な表現で貫かれていますので、解釈を一つに限定することは不可能です。


 伊賀山人個人としては、この歌詞は、本旨としては不慮の死を遂げた人が残された幼子の「百年の幸福」を祈っているものであり、それは一青窈の幼い頃に死別した父親が娘を思う心情と一青窈が母親を懐かしむ思いなど様々な想念を複合的に重ね合わせたものと解釈しています。
 ここで、「百年」の詞語は、「人生五十年」のイメージを持つ日本人にとっては大袈裟に聞こえるかもしれませんが、古来漢文化圏では「人生百年」と言い習わしており、「百年」とは「一生」或いは「生涯」と同義です。


 なお、緑字で付記した台灣國語歌詞は一青窈自身が翻案して新たに作詞したもので、納得できるものを書くのに10年かかったと語っています。


 蛇足ながら、一青窈の父系顏一族の先祖は、唐代の政治家・書家で当代随一の学者・芸術家として世に知られている顏真卿(がん しんけい、 709年 - 785年)です。
 更にその先祖を遡ると、今から2500年前に孔子(こうし)の後継者と目されながら惜しくも早逝した稀代の秀才 顏回(がん かい)に行きつく古き名門です。



ハナミズキ(花水木)
四照花
             作詞・作曲・演唱:一青窈
             台灣國語翻訳歌詞:一青窈


空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ

無意間伸出了雙手
回憶五月那天擁抱天空的往事
喜歡你走到我身邊
靜靜地慢慢走到這水邊
送你一朵待放的花
那是院裡的四照花


薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

我衷心地祈禱 美麗夢想能夠實現
祝福淡紅可愛的你和他
我衷心地祈禱 美夢成真的那一天
願你和心上人百年好合


夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい

這夏天有些太炎熱
然而我對你的關愛又太過沉重
想和你一起到彼岸
但我知道小船會顛覆沉沒
所以請你一個人走吧
離開我安心的走吧


僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように

我衷心地祈禱 雨過之後會有天晴
你們幸福相守永世不渝
我衷心地祈禱 這世界風平浪靜
願你和心上人百年好合


ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいい

揚起了白色的風帆
靜靜的追趕飛舞在眼前的蝴蝶
母親節的那一天
想給媽媽一片四照花的葉
沒關係不用等我
不需要知道太多


薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

我衷心地祈禱 美麗夢想能夠實現
祝福淡紅可愛的你和他
我衷心地祈禱 美夢成真的那一天
願你和心上人百年好合


僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように

我衷心地祈禱 雨過之後會有天晴
你們幸福相守永世不渝
我衷心地祈禱 這世界風平浪靜
願你和心上人百年好合


君とすきな人が
百年続きますように

美夢成真的那一天
願你和心上人百年好合




花水木(中譯)



 おまけ:〔父母の思い出を語り「ハナミズキ」の漢訳版を披露する一青窈〕

台日混血歌姬一青窈 中文說唱樣樣行(20160901)


Wings To Fly(翼をください)


 「翼をください」は、元々日本のフォークグループの「赤い鳥」が1970年代に演唱した楽曲ですが、曲調が優れていることから、その後国内外の多くの歌手がカバーしています。
 その中から、今回は、「ニュージーランドの歌姫」「癒しの歌姫」「史上最年少のユニセフ親善大使」ことヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra、1987年4月10日 - )の英語版「Wings To Fly(空飛ぶ翼)」をご紹介します。


 その前に、ヘイリー・ウェステンラのプロフィールについて整理しておきます。
 少し長くなりますので、興味のない方は次の囲み部分を飛ばして、楽曲紹介に進んでください。

 【ヘイリー・ウェステンラのプロフィール】


 ヘイリー・ウェステンラは、日本人の学生が語学研修で訪れることで知られているニュージーランドクライストチャーチ出身のアイルランド系ニュージーランド人です。

 日本では米語読みの「ヘイリー」の名義で活動しますが、ニュージーランドでは、「ハイリー」に近い発音です。


 彼女は1987年生まれで、祖母は歌手、母方の祖父はピアニストという音楽好きの一家に育ちました。

 6歳の時に学校のクリスマス会で歌を歌った時に、彼女が絶対音感の持ち主であることに気づいた教師に薦められて、ヴァイオリンやピアノ、リコーダーを習い始め、やがて発声練習も本格的に始める傍ら、ジャズダンスやバレエなども習得して、11歳までにミュージカルの舞台を40回以上務めています。


 12歳の時に家族と友人に配布する目的でデモ・アルバム『Walking in the Air』を録音し、1000部を制作し、この録音を終えた後、妹と一緒にクライストチャーチの路上でパフォーマンスを行ったところ、多くの群集に取り囲まれそれを目にしたカンタベリー・テレビ (CTV) の記者から番組への出演申し出を受けたことがプロへの道を歩む契機になりました。


 そして、14歳になったばかりの2001年4月26日に自身の名を冠したアルバム「Hayley Westenra」を発表して念願のプロデビューを果たしています。


 ヘイリーの名が国際的に知られるようになったのは2003年7月10日に、クラシックの楽曲やポップス、マオリの伝承歌のほか、ジョージ・マーティンの書き下ろし曲などを収録したアルバム『Pure』を発表してからのことです。

 このアルバムのバージョンは、ニュージーランド版のほか、オーストラリア版・イギリス版・アメリカ版・日本版・国際版と様々なバージョンがあり、アメリカ版が翌年4月に発表された他はほぼ世界同時に発表されました。

 このアルバムは、イギリスのクラシック・チャートでは1位、総合チャートで7位、日本でも28位と健闘し、国際的な累計売上は200万枚に達しました。

 この『Pure』に収録されている「Amazing Grace(アメイジング・グレイス)」が、日本のフジテレビ開局45周年記念テレビドラマ『白い巨塔』(放送期間:2003年10月9日 - 2004年3月18日) の主題歌に採用されたことから、彼女の名が日本でも知られるようになり、また彼女が日本に興味を持つきっかけとなりました。


 その5年後の2008年5月に日本で自身初のシングル盤「アメイジング・グレイス2008」を発表しました。

 これは3年前に白血病で亡くなった日本の歌手本田美奈子.の残した音源との仮想的なデュエットによるバージョンです。

 2008年6月3日には『NHK歌謡コンサート』に洋楽歌手として初めて出演し、本田美奈子の2004年のライブ映像をバックにこの“デュエット”版による歌唱を披露しました。

 そして、翌6月4日にはこの「アメイジング・グレイス」に加え日本のポップスのカバーを収録したアルバム『Hayley Sings Japanese Songs(邦題:純~21歳の出会い)』を発表しています。


 このアルバムには、日本の歌の美しさをはじめて知ったヘイリーが自ら選んだ日本のポップス12曲が収録されています。

 。「アメイジング・グレイス」の一部とボーナス・トラックの「白い色は恋人の色」ではきれいな日本語による演唱を披露していますが、その他の曲は、英語の訳詞になっています。この英訳の大半は、ヘイリー自身が「癒しの歌姫」としての自らの世界観に合うように意訳したものです。

 『Wings To Fly(翼をください)』は、このアルバムの8曲目に収録されています。


 また、翌2009年9月1日には『 HAYLEY sings JAPANESE SONGS 2(邦題:絆)』を発表しています。


 更に、ヘイリーはデビュー前からチャリティー活動に積極的に参加しており、その実績が評価されて、2003年には16歳で史上最年少の「ユニセフ親善大使」に任命されています。

 その後、アフリカを始め世界各国で困難な状況に置かれている子どもたちのために、精力的に活動を続けています。


 2009年3月には、コンサートツァーの為に来日した折にも、ツァーに先立つ3月10日に東京の児童養護施設星美ホームでのチャリティーイベントの参加し、4月5日に全国15箇所でのコンサートを終えて帰国前には日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)を訪問して意見交換をしています。

 
 歌手の紹介の方が長くなりましたが、以下、楽曲「Wings To Fly(翼をください)」について、簡単にご紹介します。


 ヘイリーの歌う「Wings To Fly(直訳:空飛ぶ翼)」は、曲については村井邦彦の原曲と同じですが、歌詞については山上路夫の原詞をヘイリー自身が自らの世界観に合うように翻案して英訳したものです。


 1970年に山上路夫が書いた原詞は、学園紛争や安保闘争、更にはベトナム反戦運動などの事件が連続する前途の見えない暗い世相を反映して、悩み多く閉塞感に苛まれる一人の若者の立場で、「悲しみのない自由な空へ行きたい」と詠ずる現実逃避的な楽曲でした。
 この楽曲が音楽教科書にも採用されたのは、1970年代後半に教科書出版社の一つである教育芸術社の橋本 祥路(はしもと しょうじ、1948年1月13日 - )が、当時合唱曲としてはクラッシックが殆どであった教科書を「皆が歌えて、楽しめる合唱曲集」にしようと考えて、フォークソングの中から曲調がよく、歌詞も見方によっては大空をイメージして将来への希望を詠じていると解せないこともないことから、この楽曲を選定したことによります。


 2008年6月4日に発表したヘイリーの「Wings To Fly(空飛ぶ翼)」は、山上路夫の原詞とは大きく次の2点が異なっています。
 先ず1点は、登場人物が原詞に見える孤独な自分一人だけではなく、「あなたと私」の二人になっています。
 次に最大の変更点は、原詞の個人的で厭世的な詩風から、恋人或いは友人への純愛歌に変更しています。
 この歌詞の翻案・翻訳は、当時21歳のヘイリー自身が行っています。
     
 「癒しの歌姫」ヘイリー・ウェステンラの人生観・世界観をよく表現した1曲、本人の演唱でご紹介します。



 Wings To Fly
 翼をください
 請給我一雙翅膀


I, I have a dream
A dream of you and me
We're flying high above
We're soaring over sea
私には、私には夢がある
それはあなたと私二人の夢
私達は大空高く飛んで行く
私達は海を越えて舞い上がる

我、我有一個願望
一個屬于你和我的願望
我們一起展翅高飛
越過海洋


Bless me, with some wings
For I, so want to fly
These precious white wings,
Will take me soaring high
翼を与えて祝福してください
空飛ぶことを切望するこの私のために
その貴重な白い翼は
私を空高く舞い上げてくれるでしょう

希望我能得到一雙翅膀
對我而言,我是多麼渴望飛翔
這雙聖潔的翅膀
將會引領我一飛沖天

<サビ節>

To the sun that lights the day

 (Tsubasa wo kudasai, tsubasa wo kudasai…)

 To the clouds that drift away,

 Only then will I be free

 Past the city lights and haze

 Through the autumn trees ablaze

 In the sky, I am truly free,

昼間を明るく照らす太陽の傍へ

(翼をください、翼をください)

また、漂い去って行く雲の傍へ飛んで行く

ただそれだけで私は自由になれる

光りに溢れ或いは靄に霞む街を通り過ぎ

空に聳(そび)えて輝く秋の木々を通り抜ける時

私は真実の自由を得る

飛嚮照亮白晝的太陽

(請給我一雙翅膀、請給我一雙翅膀)
飛嚮轉眼飄逝的雲綵
只有那時我是多麼無拘無束
途徑城市萬傢燈火,懞懞霧靄
穿過鞦天火紅的樹林
在天上我真正的自由自在
 

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我   


(間奏)


I, I have a dream
We're high, above the trees
The wind is in my hair,
The ocean breeze takes me
私には、私には夢がある 
私たちが木の上高く舞い上がり
風が私の髪を吹き抜け 
大海のそよ風が私を抱きしめてくれる夢が

我、我有一個願望
我們飛過樹林
清風拂過我的頭髮
海洋的和風引領我前進


Tell me, what can I do?
To earn, earn me some wings?
Some precious white wings,
To help me live my dreams
教えて欲しい  私はどうすればよいのでしょうか?  
翼を得るためにどうすればよいのでしょうか?
貴重な白い翼を得るために
私の夢をかなえてくれる翼を得るために…

告訴我,我可以做什麼
是給我一雙翅膀嗎
這雙聖潔的翅膀
將會激勵我為理想而生存

<サビ節2回繰り返し>

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我 

<サビ節2回繰り返し>

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我 


  (Tsubasa wo kudasai, tsubasa wo kudasai…~)
(翼をください、翼をください~)
(請給我一雙翅膀、請給我一雙翅膀~)




Wings to Fly by Hayley Westenra (翼をください)