伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

玉關寄長安李主簿 (盛唐:岑參)


 大晦日を明日に控え、盛唐の詩人岑參(しんじん、西暦715年ー770年)が、約1300年前の陰暦12月30日に詠んだ詩を1首ご紹介します。


 岑參(しんじん)は、十数年間に亘り支那西方防衛の為の軍隊に派遣されており、その際の経験を踏まえた「辺塞詩」を多く残した人です。


 この詩の題の「玉關寄長安李主簿」に見える「玉關」とは当時の西方防衛の最前線基地であった玉門關のことで、「李主簿」とは李という名の主簿即ち役所の書記を担当する事務官のことです。
 詩は、都長安にいる李主簿に宛てたもので、その内容は都から西へ2千キロメートルも離れた辺境の地で大晦日を迎えようとしている作者が、旧友の李主簿を懐かしむ心情を詠じたものです。


 「故人何ぞ惜しむ一行の書」という表現は、一見李主簿が自分に手紙を送って来ないのを詰(なじ)っているかのように見えますが、そうではありません。
 玉門關のような辺境の地では、都長安との手紙の往復がままならぬことは周知の事実です。
 ここで敢えて「手紙を書き惜しんでいるのだろう」と詠じることができるのは、それを洒落と解釈して楽しめるほど、この二人が肝胆相照らす仲であったことを示しています。


 詩形は、唐代に完成した近体詩といわれるものの1形式で、七言句四句二十八文字からなる七言絶句です。
 近体詩に限らず、七言句の場合には2字・2字・3字で意味の区切りがあります。
 その区切りに注意して読めば、白文でも読み解くことができます。ただし、最初の2字・2字の区切りは弱いので、七言句を4字・3字に区切って読むほうが分かりやすい場合もあります。



(白文)
玉關寄長安李主簿


東去長安 萬里餘,
故人那惜 一行書。
玉關西望 堪腸斷,
況復明朝 是歳除。


(訓読文)
玉關(ぎょくかん)にて 長安の李主簿(りしゅぼ)に寄す


東のかた長安を去ること 萬里餘(ばんりよ),
故人那(なん)ぞ惜しむ 一行の書。

玉關(ぎょくかん)西望(せいぼう)すれば 腸(はらわた)斷つに堪へたり,
況(いは)んや復(ま)た明朝 是(こ)れ 歳除(さいぢょ)なるをや。


(口語訳)
玉門関から長安にいる李書記に詩を贈る


東にある都の長安を去ってから 万里以上も遠隔の地に来ている、
古くからの親友である君は どうしてほんの一行の手紙ですら書き惜しんでいるのか。
この玉門関から更に西の荒涼たる異国の地を眺めていると 正に断腸の思いがする、
ましてや明日は 長安にいれば近親者が集う大晦日なのだから旅愁は尚更である。


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