伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

楓橋夜泊(ふうけうやはく)


 伊賀山居では、紅葉に霜の降り敷く季節となりました。
 そこで、今回は紅葉と霜とを詠じた漢詩を一首ご紹介します。


 中唐の詩人張繼(ちょうけい:生没年不詳。天宝十二年(753年)の進士。)作の七言絶句「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく、字音仮名遣ひ:ふうけうやはく)です。


 この詩は、船旅の途中で楓橋(現在の江蘇呉縣西郊に在る橋名兼地名)の近くに船を停めて船中泊をしている作者の旅愁を詠じたものです。
(筆者注:現在の地名について、ここでは中華民國が使用する名称を採用しています。「江蘇呉縣」は、中共では「江蘇省蘇州市」と称しています。因みに「北京」は中共の呼称で、中華民国では「京(首都」ではないので「北平」と称しています。)


 起句に見える「烏啼」とは「カラスが鳴く」の意で、真夜中にカラスが鳴くのはおかしいという人もいますが、これは楽府題に「烏夜啼」(カラスが夜鳴く)というものがあるように古来詩の題材とされたもので、ここでは暗夜で姿が見えないカラスの鳴き声だけを描写して月が沈んだ楓橋付近の暗さと他に物音の聞こえない静かさとを強調したものです。
 承句の「江楓漁火」とは江楓と漁火との関係が分かりにくい表現なので、テキストによっては「江村漁火」(川辺の村の漁火)に作るものもありますが、ここでは漁火に照り映える川沿いの紅葉の意で解釈しておきます。起句との連続性を考えると、起句のカラスも或いはこの漁火に反応して鳴いているのかもしれません。
 転句では場面・発想が大きく変化して、突如「姑蘇城外寒山寺」と詠じています。「姑蘇」とは、現在の江蘇呉縣のことで、「城外」とは町外れ或いは郊外のことを意味します。
 結句で「夜半の鐘聲客船に到る」と詠ずることにより、夜の静寂 の中で忽然として聞こえる時刻を告げる鐘の音に時の流れを感じて、故郷に帰ることの叶わぬ旅人の愁いが益々深まることを間接的かつ効果的に表現しています。


 古来、漢詩は、孔子が編纂した「詩経」の時代には曲に合わせて演唱されるものでした。
 その後、詩詞は曲から離れて吟詠するものになり、更に読み書きするものに変化しましたが、七言絶句だけは現在まで曲を付けて演唱する習慣が残っています。
 なお、宋代に隆盛を見た「詞」(つー)は当時は演唱するものでしたが、今ではその曲も失われており、一部の宋詞を鄧麗君などが演唱した他は七言絶句のように演唱されることはありません。


 この楓橋夜泊は、現在でも多くの歌手によって、それぞれ異なる曲に乗せて演唱されています。その中から作曲者も演唱者も不明ですが、香港保健協會が作成した「楓橋夜泊」を演唱している動画を添付しておきます。


       
(白文)              
 楓橋夜泊
              中唐 張繼
 月落烏啼霜滿天,
 江楓漁火對愁眠。
 姑蘇城外寒山寺,
 夜半鐘聲到客船。



(訓読文)
 楓橋夜泊(ふうけうやはく)
                                            
中唐 張繼(ちゃうけい)                      
 月落ち烏(からす)啼いて 霜(しも)天に滿つ,
 江楓(こうふう)漁火(ぎょくゎ) 愁眠(しうみん)に對(たい)す。
 姑蘇城外(こそじゃうぐゎい) 寒山寺(かんざんじ),
 夜半(やはん)の鐘聲(しょうせい) 客船(かくせん)に到(いた)る。

 
(現代口語訳)
 楓橋での夜の宿泊
                        中唐 張繼(ちょうけい)
月が沈んでカラスが鳴いて 霜の気配が天に満ちている
川辺の紅葉に漁船の灯りが照り映えて 旅愁により眠れずにいる私の眼に浮かぶ
古の都姑蘇の町外れに在る その名も寒々とした寒山寺から
真夜中に時を告げる鐘の音が 旅人を乗せたこの船にも聞こえてくる


 
 中國古詩詞歌集:香港保健協會▼

楓橋夜泊



蘅塘退士(こうとうたいし)選輯「唐詩三百首」中、『楓橋夜泊』註解 ▼