伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

唐詩「春曉(しゅんぎょう)」の音読み



 春曉

           盛唐 孟浩然

 春眠不覺曉,

 處處聞啼鳥。

 夜來風雨聲,

 花落知多少。


 「春曉」とは、盛唐の詩人孟浩然(もう こうねん/もう こうぜん、モン ハオラン、689年 - 740年)作の五言絶句で近体詩に分類されるものです。


 漢詩の中でも、唐代に完成した近体詩と言われるものは、一首の中の句数や一句の中の漢字数とその平仄(声調:アクセント)の配置や韻の踏み方など、厳格な決まりごとのある「定型詩」です。


 このような定型を守ることにより、唐代の都長安の発音で読んだ時に歌うがごとき心地よいリズムと響きになるのです。


 また、新体詩以外の古体詩や近体詩に分類される漢詩でも、平仄には厳密な定型が無いものの押韻だけは付けられていて、最小限のリズムと響きは得られるようになっています。


 ところが、日本では古来、近体詩に限らず全ての漢詩を定型詩として読んでいるわけではありません。
 次のように訓読して非定型詩として読んでいます。

 春曉(しゅんぎょう)

春眠 曉(あかつき)を覺(おぼ)えず,

處處(しょしょ)に 啼鳥(ていちょう)を聞く。

夜來(やらい) 風雨の聲(こえ),

花 落つること 知んぬ多少ぞ。


 実は、このことが、漢詩が現代まで日本人に普及している一因ともなっています。
 つまり、日本に漢詩が伝わった奈良時代頃(諸説あり)には、既に五七調を基準とする定型詩である和歌が、知識人の教養として存在していたのです。
 そのような時に、漢詩が古代の知識人に普及したのは、非定型詩が初めての経験であり珍しかったことと、更には漢語を使うことにより和語(やまとことば)を使う和歌では表せない包括概念や抽象概念を表現することが出来たことが原因の一つと考えられています。

 筆者注:

 漢字が日本に伝来した古墳時代の末期には、日本語は未だ発展途上で、包括概念や抽象概念を表わす和語は殆どありませんでした。

 例えば、「はる、なつ、あき、ふゆ」という和語はありましたがそれらを包括する「季節、四季」という和語はなく、また、「はれ、くもり、あめ」という和語はありましたが抽象概念としての「天気、天候」という和語はありませんでした。

 これら和語では表せない漢語が伝わった時に、これを和語に翻訳することなく音読みのままで日本語に導入して現在に至っています。

 なお、明治になって欧米から伝来した外来語については日本語に翻訳しましたが、その際は和語ではなく「哲学、人権」などのように音読みの漢語の形式に翻訳しています。

 現在、日本語となっている単漢字或いは熟語で、音読みのみで訓読みが存在しないものについては、元を糺せば支那や欧米からの外来語が殆どです。


 漢詩の訓読も、これはこれで、格調高い響きがありますが、本来の定型詩の響きではありません。


 今回は、この「春曉」が約1300年前にはどのような響きであったのかを、音読みで研究してみました。


 日本語の音読みにはいくつかの種類がありますが、大別して「漢音」と「呉音」の2種類が最も多く使われています。
 「漢」とか「呉」とかの頭字は、王朝名とは関係ありません。
 「漢音」とは唐代の都長安(現:西安)で使われていた漢字音を7~8世紀ごろ日本から支那へ留学していた仏教僧が持ち帰って広めた読み方です。
 「呉音」とはそれよりも前の六朝時代の都建康(現:南京)付近で使われていた漢字音で、6世紀ごろから仏教の伝来と共に、朝鮮経由で経文の読み方として伝わっていたものです。
 「漢音」は短期間でまとめて導入されたため体系的で理路整然とした読み方です。
 これに比べ「呉音」の方は、100年以上の長期に亘り断続的にしかも支那から直接ではなく朝鮮を経由して導入されたため、読み方に一貫性を欠いており、古代の漢字音をどれほど正確に伝えているのか疑問が残る読み方です。


 現在では、漢文・漢詩は「漢音」、仏教典は「呉音」で読む慣わしとなっています。


 漢詩も「漢音」で読むと、平仄のアクセントは付いていませんが比較的唐代の音に近くなります。もっとも、この際は古代の読み方「歴史的仮名遣ひ」の漢字版である「字音仮名遣ひ」というもので読む方がより正確になります。
 また、漢字は支那諸語では一字が一音節でそれぞれの読む時間は同じですので、例えば、「花落知多少」は、「か らく ち た しょう」ではなく、「くゎ~ らく ち~ た~ せう」と読むほうが原音に近くなります。
 これは、漢文で出来ている仏教の経典を呉音で読む場合でも同じで、例えば「観自在菩薩」であれば、「かん じ ざい ぼ さつ」ではなく、「かん じ~ ざい ぼ~ さつ」と読み慣わしています。


 この方法で、「字音仮名遣ひ」を用いて音読みすると、「春曉」は次のようになります。


  春   曉 

  しゅん げう        

春   眠   不  覺  曉,

しゅん みん  ぶ~ かく げう

處   處   聞  啼  鳥。

しょ~ しょ~ ぶん てい てう

夜   來   風  雨  聲,

や~  らい  ふう う~ しゃう

花   落   知  多  少。

くゎ~ らく  ち~ た~ せう


 この音読みでも、1句・2句・4句の末語の「曉・鳥・少(げう・てう・せう)」は、「~eu」で韻を踏んでいることが分かります。

 筆者注:

 この「曉・鳥・少」の漢字は、唐代の長安音では尻上がりに発音する上聲(じょうしょう)という声調の漢字の中の「17篠(せう)」とう韻目のグループに属する韻字です。

 果してこれが1300年前の読みに近いのかどうかを検証するため、「現代台湾華語」と「唐代長安音(推定)」による朗読と比較してみました。
 なお、「唐代長安音(推定)」は、大島正二著『唐代の人は漢詩をどう詠んだか』(岩波書店)に基づいています。


 【現代台湾華語による「春曉」の朗読】

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 【唐代長安音(推定)による「春曉」の朗読】

孟浩然「春暁」 唐代長安音(推定)


 検証結果、日本語の音読みでも漢音の「字音仮名遣ひ」であれば、1300年前の長安音の雰囲気が結構良く出ていることが判明しました。
 抑々、漢音とは元々唐代の長安音の読み方ですので、この漢音に唐代の声調(四声:平声・上声・去声・入声)をつけて読めば、或いは現代の支那諸語(北京語、上海語、広東語、閩南語等々)よりも古代の長安音に似ているのかもしれません。
 


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