伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

通りの神秘と憂愁(キリコ画)

 【「通りの神秘と憂愁」(ジョルジョ・デ・キリコ 1914年油彩画87×73cm)】


 「通りの神秘と憂愁」は、ギリシャ生まれのイタリア人画家、ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888年7月10日 - 1978年11月20日)によって描かれた1914年第1次欧州大戦中の作品です。


 作者のキリコは、形而上絵画派を興したことで、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)されています。


 形而上絵画とは、本来目には見えない静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安などの人間の感情を絵の中に表現するものです。


 このため、絵の中には、左右の建物で遠近感のずれがあったり、影は対象物によってバラバラになったりという矛盾した構図が特徴になっています。
 しかしながら、キリコの絵は、隅々まで鑑賞すると、何を表現しようとしているのかが自ずから分かってきます。


 上掲の「通りの神秘と憂愁」について、西洋美術史上に一石を投ずる卓越した解釈をご紹介します。


 まず、全体を見ると建物の特徴から、描かれているのはイタリア北部の旧都トリノの町と広場であることが分かります。
 道路などの地面は、石畳ではなく、一面の黄土で覆われています。
 なお、この町は2006年に第20回冬季オリンピックが開催されてフィギュアスケートの荒川静香選手が金メダルを獲得したことで知られています。


 また、影の長さと空の色から、時刻は夕暮れ時であることは間違いありません。更に、左の建物後方の屋上にある旗のなびき方から、強い西風が吹いていることが分かります。したがって、季節は秋であることが判明します。


 建物の明と暗、人物の動と静、道路と空の色彩対比など、強いコントラストを多用しているのは、暗に人のコントラスト、つまり生と死とを表現しているのであります。


 左右の建物の遠近法の焦点がずれているのは、そのような不安感の現れです。


 細部について見てゆきますと、絵の左下に見える二本の黒線は、当時の路面馬車の軌道です。
 右にある貨物車は、牛や馬などを積む貨車です。その証拠は、右下にあるスロープです。通常の荷を積む貨車であれば、スロープは不要です。


 奥に見える大男のように見える長い影は、実は、イタリアの騎兵隊に招集されて、馬に跨り風に抗って夕焼けの戦場に向かう男の後ろ姿の影なのです。
 片手が見えないのは、手綱を握っているからに他なりません。
 男が乗っている馬は、今しがた、前述の貨車で運ばれて来たものと考えて間違いないでしょう。


 その奥の、細長い影は、男の従者が肩にする軍旗の旗竿の影です。


 左の環を転がしている少女は、この男を追いかける愛娘の姿なのです。


 環を転がすのには、意味があります。
 「環」は「還」なり、「Ring」は「Bring」なり。
 古今東西、旅立つ人に「環(=Ring)」を贈って、道中の無事と生還とを願ったのであります。


 つまり、この絵は、イタリア戦線に赴く男の不安と、無事を願う娘の惜別の情を表現したものなのであります。


 晩秋、一人娘を残して、黄塵巻き上げる風を頬に受け、夕焼けの戦場に赴く男の胸中に去来するものは、一体何だったのでありましょうか。


 「風は蕭々としてトリノ水寒し、壮士一度去りて復た帰らず。」


 後にはただ、父の名を呼ぶ娘の声が、夕闇迫るトリノの広場に虚しくこだまするのみでありました。



  「シェ~ン! カ~ム ブァ~ック!!」


追記: 上記の「解釈」については、すべて筆者の作り話です。 



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