伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

桃源郷を考える

 【桃花源記詩意図】


 桃源郷(とうげんきょう)とは、俗界を離れた仙境・理想郷のことで、今から1400年ほど前の、魏晋南北朝時代の詩人陶淵明が創作した「桃花源記」が出典となっています。


 「桃源郷」は、何者の束縛も受けず精神の自由を得られる地であり、西洋で言う「アルカディア」に相当します。
 なお、「ユートピア」も、日本では「理想郷」と翻訳されているため、歌謡曲の歌詞などで誤用されていますが、こちらの方は全ての人民の平等を標榜する独裁的社会主義体制、即ち、中共や朝鮮のような非人間的な管理統制社会のことで、桃源郷やアルカディアとは相反する概念です。


 「桃花源記」のあらすじは、次のとおりです。

 晋(しん)の太元(たいげん)年間に、武陵(ぶりょう)の地で川魚を獲ることを生業とする漁師が、川を遡っているうち桃の花の咲き誇る林を見つけ、更にその奥の水源で船を降りて洞門を潜って山に入って行くと、俗塵に穢されず平和でのどかに暮らす村が有った。

 その村で、数日間、酒食のもてなしを受けて、また、船に乗って元の武陵の町に戻ってきた。

 郡の太守に報告して、もう一度その村を探しに行ったが、二度と見つけることはできなかった。

 南陽の劉子驥(りゅうしき)という高名な隠者がその話を聞いて、喜び勇んでその村に行こうとしたが、実現しないうちに、病気にかかって死んでしまった。

 それ以降、漁師が降りた桃花の咲く水源の船着き場を探す者は、いなくなった。


 後世、陶淵明が「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれたこともあり、以上の文章から、彼が桃源郷を追い求めていたかのように考える人も現れましたが、それは誤解です。


 陶淵明は、現実主義の人でありました。理想郷の存在そのものに否定的な考えを持っていました。
 彼がこの桃花源の記で主張したかったことは、桃源郷を遠方の地に探し求めることは、徒労であるということなのです。


 陶淵明の詩には、神仙の境地を詠んだものが数多くありますが、これはあくまでも彼の心の中で作り上げた心象世界なのです。
 彼自身は、山奥の僻地に住んでいるわけではなく、かなり多くの人が住む村里に居を構えておりました。


 陶淵明の「飲酒」という詩の中に、「心遠ければ地自ずから偏なり」という一句があります。この意味は、「心を遠隔の地においてさえいれば、俗世間の中に住んでいても辺境に住んでいるのと同じ心境になれるのだ」ということです。
 
 陶淵明の思想は、「理想郷は自分の魂の奥底に存在する。心の外には存在しない桃源郷を遠隔地に探し求めていたのでは、却って桃源郷は見いだせなくなる」という優れて哲学的なものなのであります。



 さて、不肖伊賀山人、北から南へさすらい歩く旅人でありました。
 この世に生を受けて数十年、転居の回数は、22回となりました。


 来し方を振り返り、世を忍ぶ仮の住まいを思い起こせば、気候のよい場所、風光明媚な場所、美食に富む場所など様々です。


 人は聞きます。
 「どこが一番良かったか?」と。 
 笑って答えません。


 幾つかの場所には、二度住んだこともあります。
 一度目は良かったものの二度目はそうでもなく、また、その逆もあります。
 
 住居や生活環境が傍目にはいかに劣悪であろうとも、良き朋友を得た場所は終生最良の思い出の地となっています。
 やはり、真の理想郷・桃源郷は、どこか特定の場所ではなく、人それぞれの心の中にあるもののようです。



  題桃源郷


 人間苦難固無窮
 欲到樂園萬古同
 莫問桃源何處有
 武陵仙境在心中
 

【巡る季節に一人旅ゆく】


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