伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

漢詩の効用


 昨年晩秋の頃、見知らぬ方から小包が届きました。

 包みを開くと、そこには一瓶の薬草が入っておりました。

 ところが、手紙どころかメモ紙一枚入っておりません。


 はて? 全く記憶にないこの方が一体何のために送ってきたのだろうかと不思議に思いつつ、今一度小包の伝票を確かめてみると、その下の方に上記の漢詩が書きつけられているのを見つけました。


 この詩は、中唐の詩人賈島の「尋隱者不遇」と題する五言絶句です。

 この詩の二十文字だけで、私は、ほぼ、事情を察することができました。


 隱者を尋ねて遇わず  賈島


 松下、童子に問えば

 言う、師は薬を採り去る

 只此の山中に在らんも

 雲深うして処を知らずと


 この詩の、大まかな意味は、賈島が山中に隠棲する友人を訪ねてみたが不在であった。友人が雇っている少年に松の木の下で聞いてみたところ、「先生は薬草を採りに行きました。此の山の中にいるようですが、雲霧が深くて所在はいつものように分かりません。」と答えたという、呑気な隠者とそれに仕える少年とのユーモラスな情景を詠んだものです。


 私は、薬草の真の送り主は小包の差出し人としては書かれていない「師」であり、郵便局から発送したのは、この「師」に仕える「童子」なのだろうと直感的に理解しました。

 また、漢詩をメッセージとして使ったのは、知識人の洒落ではないかとも思われました。そう考えると、思い当たる節もありました。


 数日後に分かったことですが、この小包の真の送り主は、旧知のJ女史でした。私の持病に効くという薬草を自ら採取・調合して送ってくれたものでした。J女史にはこの時、自ら発送できない事情が有って、友人のY先生に依頼して発送したのだそうですが、手紙を入れるのを忘れたのだそうです。


 郵便局の窓口で、それに気づいたY先生が、何の説明も書いていなければ、さぞかし私が不審に思うだろうと考えて、既に計量秤の上に載っている包みの片隅に取りあえずの処置として、この詩を走り書きしたのであります。


 時間があれば、細かい説明も書けるでしょう。しかしながら、既に窓口に包みを出している状態で、瞬時に自らを「童子」に擬して、この詩を書けるその教養レベルには感嘆しました。


 わざわざ、こんな遠回しなことを書かなくても、もっと分かりやすく簡単に書けるだろうとお考えの方もあるでしょう。


 Y先生は日本人ではありません。某国の天文学者なのだそうです。知識人ではあっても、日本語を必ずしも得意とはしていないY先生が、時間に制約のある中、思い浮かぶ漢詩を咄嗟に共通言語として使ったのは、ある意味当然のことでしょう。


 和文には和文ならではの良さがあります。一方、漢文には漢文の良さもあります。


 「漢字」は「感じ」なり。見ただけで凡その意味が通じます。

 更に漢詩であれば、僅か二十文字程度の漢字の中に言外の意味をも込めることができます。


 およそ漢詩・漢文など見向きもされぬ昨今においても、漢字文化圏の共通言語としての効用もあるのだと改めて感じた伊賀山中、晩秋の一日でした。


八(やつ)になりし時、祖父に問ひて言はく(伊賀山人)

 私の母方の祖父は、明治初年の生まれで、中国地方の山間部に位置する僻村で医院を開業しておりました。
 祖父の先祖は、明治維新に至るまでこの地を治めていた外様大名に代々仕える城代家老の家系でした。
 祖父は、先祖代々の築年数も定かでないこの家老屋敷の一部を改築して、診療所にしておりました。


 私が幼少の頃、既に80歳に近かった祖父は、殆ど診療はしておりませんでしたが、待合室で刻み煙草を燻らしながら近所の人々と囲碁に興じていたことはよく覚えています。


 この屋敷の所在地は、山間部でもあり夏でも涼しかったことから、私は、夏休みのつど、今は亡き母に連れられて、避暑がてらに訪れては長期に亘り滞在したものです。


 屋敷は、渡り廊下で繋がれた幾棟かの平屋造りでしたが、その一角の具足庫を兼ねた物見台だけが、急階段を上る2階になっていました。


 2階には、鎧櫃が幾つもありその中には鎧兜や鎖帷子その付属品の軍配などが納められていました。


 また、それに納まらぬ大小の槍が何本もありましたが、それらは階段の脇に沿って斜めに置かれていました。
 階段に置いてある槍は、短いもので1メートルくらいのものから長いものでは5~6メートルに達するものもあり、この長いほうの槍は、とても八歳の私では持ち上がらないほどの重いものでありました。


 私は、毎年、祖父の診療所を兼ねたこの屋敷を訪れては、2階に上がって、兄の助けを借りながら鎧兜を身に付けて、脇差や軽くて短い槍を振り回して遊んだものです。


 八歳の夏、例年のごとく祖父の屋敷を訪ねてふと疑問に思いました。
 何故、こんなに長くて持ち上がらないほどの重い槍があるのか? と。


 早速、祖父に尋ねました。
「槍に長くて重いものがあるのは何故でしょうか?」


 祖父は答えました。
『槍は長きを利とする。敵の槍より一寸たりとも長ければ勝ちを得る。槍の重きは不利にはならぬ。丈夫で穂先がぶれないのじゃ。』


 私は、続けて問いました。
「それでは、何故、短い槍も有るのですか?」


 祖父はまた答えました。
『戦の庭で、徒歩で戦う家来には持てる限りの長い槍を持たせてやらねばならぬが、馬上で指揮を取る主人は長い槍では扱いにくく、しかも下手に振り回すと家来を傷付けてしまうこともある。そこで、止むを得ず短い槍も主人用として準備しているのじゃ。』と。



 この時、若干八歳の伊賀山人少年は、その後60年に及ぶ人生を一貫する、貴重な教訓を悟り得たのであります。


「自分の為には、”軽い槍”でもよいが、人の為には、”おもいやり”が必要なのだ!」と。
 

八(やつ)になりし時、父に問ひて言はく(兼好法師)

(アニメ古典文学館「徒然草」から引用)


 徒然草は、「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と書かれた序段に続く本文の第1段から第243段までの計244段からなる随筆です。


 本文の第1段から第242段までは、世間の様相や日常生活などの話題や、学術・芸術に関することや、心理・宗教などの哲学的なものなど、広範多岐に亘る題材を兼好法師の深い教養と優れた洞察力により、合理的・論理的に述べられています。


 ところが、最後の第243段だけは、それまでの段と全く趣を変えて、唯一、家族のことが述べられています。その内容は、兼好法師八歳の折の父親との会話を懐かしく思い起こすものとなっています。


 この最終段は、それまでの段とは余りにも様相を異にする為、学者によってはこの段はないほうがよいと極論する者すらいますが、私の好きな段の一つですので、その口語訳をご紹介します。



 徒然草第243段(八(やつ)になりし時父に問ひて言はく)


 八歳になった時、
 父に質問して、「仏とはどのようなものでしょうか」と言った。
 父が言うには 『仏には人が成るのだ』と。
 また質問した。「人はどのようにして仏に成るのでしょうか」と。
 父は又、   『仏の教えによって成るのだ』と答えた。
 又質問した。 「人に教える仏を、何者が教えたのでしょうか」と。
 又答えた、  『それもまた、その前の仏の教えによって仏にお成りになったのだ』と。
 又質問した。 「その教え始められた最初の仏は、どんな仏でしょうか」と言った時、父は、     『空から降ってきたのか、土からわいてきたのか』といって、笑った。


 『問い詰められて、答えられなくなりました』と、父は諸々の人々に語っては面白がった。



 この段は、八歳になった兼好が「仏とは何ぞや?」と父親に質問したところ、父親がそれに答えますが、兼好が納得せず、次々と質問を重ねてゆきます。父親もうるさがることもなく、次々と回答しますが、遂に答えられなくなって笑ってごまかします。
 そして、父親はそのことを不快に思うのではなく、聡明な息子を誇りに思って、会う人毎に、「いやぁ~ 父さん、兼好に一本とられた。はっはっはっ~」と語って面白がったいうことが書かれているのです。


 この「仏とは何ぞや?」と言う疑問は、実は誰にもこたえられない難問なのです。「仏とは悟りを開いた人である」とか、「仏とは生命である」とか、通り一遍のことは誰でも答えられるでしょう。しかし、「悟りとは何ぞや?」、「仏界以外の九界に属する生命も仏なりや?」などと次々に問い詰められて、それに合理的・論理的に答えられる人はいないでしょう。もし答えられるとしたなら、それは抽象的・概念的な禅問答の域を出ないものでしょう。


 この難問は、取りも直さず「そもそも人類は何故に存在するのか?」という古今東西の哲学者永遠の謎と、根は同じなのであります。


 この最終段を書いていた時の兼好法師、当時としては既に晩年ともいえる齢四十八歳となっておりました。
 それでも、この難問の答えは、既に父の年齢を超えた兼好法師にも、見つかってはいなかったのでしょう。


 徒然草全244段を通ずる兼好法師の真理を追求する姿勢は、40年前の八歳のころから既に芽生えていたのであります。


 「この父にしてこの子あり」 もし兼好法師の父親が、子供の質問をうるさがり、不快に感じて怒り出すような人であったとしたなら、聡明な兼好の成長の芽は摘み取られてしまい、徒然草は永久にこの世のものにはならなかったことでしょう。


 兼好法師が、自分の人生の旅路を締めくくる意味もあって、今は亡き優しかった父親との遠い思い出に寄せて、終生変わらぬ真理を追究する姿勢を、徒然草の最終段で述べたのでありましょう。


 日本文学不朽の随筆、徒然草全244段を締めくくるに相応しい、父子の麗しき情を表す心温まる一文であります。