伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

「伊賀」の名称について

 【左図:気象庁の地域区分図】      【右図:三重県庁の地域区分図】


 伊賀(いが)とは、。飛鳥時代から明治時代初期までは令制国のひとつである伊賀国の呼称でしたが、現在ではその領域にほぼ該当する三重県北西部・上野盆地一帯の地域に対する呼称となっています。


 上掲画像の左図は気象庁指定の地域区分図で、右図は三重県庁指定の地域区分図です。
 三重県は、東の海と西の山に挟まれた南北に長い地形になっています。
 県の南部ではやや区分が異なりますが、伊賀地域はどちらも同じで、左図では橙色、右図では水色で示されている地域で、現在の行政区分としては名張市と伊賀市の2市で構成されています。


 「伊賀市」の市名から「伊賀」とは伊賀市だけのことかと勘違いする人がいますが、そうではありません。
 国や県が公式に定める「伊賀」とは、あくまでも上野盆地一帯の地域名称であり、名張市と伊賀市とが含まれる地域の総称です。


 「伊賀市」という伊賀全域を示すかのような紛らわしい名称は、地名の分類の一種である「広域地名」の要領により名付けられたものです。
 広域地名とは、例えば青森市や鹿児島市のように県名をつけたもの、備前市やさぬき市のように旧国名を付けたもののように、実際の地域よりも広域の名称を地名とするもので合法的なものではありますが、誤解を招きやすい地名になってしまいます。


 「伊賀市」は、平成の大合併により、2004年(平成16年)11月1日 に 伊賀地域の名張市を除く上野市・阿山郡伊賀町・島ヶ原村・阿山町・大山田村・名賀郡青山町の1市・3町・2村が合併して発足しました。
 つまり、それまでも伊賀を町名とする阿山郡伊賀町が存在していましたが、伊賀全域に比べると余りにも狭い地域であったことから、「伊賀町」とは僭称(せんしょう::分を越えた名称)であると考えられていたので、「伊賀町以外は伊賀ではない」というような誤解も生じませんでした。


 「伊賀市」の名称の初出は、2001年(平成13年) 2月に伊賀地区市町村合併問題協議会が発足する11年前の1990年(平成2年)2月 に 伊賀地区広域市町村圏事務組合が策定した伊賀創生計画「伊賀北斗プラン」の中に「伊賀市を目標とする」との文言が見えます。
 つまり、この当時から名張市を含めた伊賀全地域が合併して「伊賀市」と呼称することを目標にしていたのです。
 その後の合併協議には、当然ながら名張市も含めた伊賀の全市町村が参加して、伊賀全域を表わす市名として全国公募を行い「伊賀市」に決定しました。(全国公募の結果は、1位「伊賀市」、2位「伊賀上野市」、3位「いが市」)


 ところが、2003年(平成15年) 2月になって、名張市が名張市の住民投票の結果により、合併協議から離脱したことから、当時の上野市を中心に既に決定していた新市名「伊賀市」の変更提案が出されて議会が紛糾します。
 当時の上野市民から「伊賀全体の合併では無いから、伊賀市の名称はおかしい」「知名度の高い伊賀上野という地名にするべきだ」との意見があり、上野市議会では市の名称を全国公募第2位の「伊賀上野市」とすべきだとの意見が提出されて、住民による署名運動にまで発展していますが、上野市以外の住民からしてみれば、無関係な「上野」を冠するよりも自分の住所地をも包含する「伊賀」の方が実態に即しており、字数も少なくてすむことから、必ずしも名が体を表さない広域地名としての「伊賀市」に最終決定して伊賀市が発足し現在に至っています。

注 「伊賀上野」という正式な地名はありませんが、他と区別して伊賀地域にあることを明示するために「伊賀名張」「伊賀青山」のように伊賀を冠して呼称することが伊賀では通例となっています。なお、駅名は東京の上野と区別するためにJRでは「伊賀上野駅」、伊賀鉄道では「上野市駅」で、市町村合併後も変更されずそのままになっています。


 「伊賀」は、平成の大合併以前から、国や県では一つの地域と見做していたことから、現在でも公共施設や住民サービスには共通のものが多々あります。
 例えば、裁判所や検察庁は両市ともに伊賀市(旧上野市)に所在する「津地方裁判所(検察庁)伊賀支部」が管轄しています。
 また、車庫証明は伊賀市の中で旧青山町の住民は名張市にある名張警察署で取得することになり、逆に塵埃処理については名張市のゴミも伊賀市(旧青山町)が担当するなど数え上げるときりがありません。


 市町村合併には参加しなかった名張市ですが、伊賀市とは同じ伊賀地域の自治体として、平成の大合併以前からの良好な関係を現在も継続しています。


 今回は、「伊賀」の名称と「名張市」と「伊賀市」との関係について、過去の経緯を踏まえてご紹介しました。


 追記(2019.1.71655):

 本記事は、1月5日に公開したものですが、追記部分が長くなり過ぎて繁雑なので、本来の記事題に沿って要約しました。

 従前の追記部分については既に用済みですが、今後必要があれば別記事を立てます。

古月照今塵(古の月が今の世を照らす)


 「古月照今塵」は、インドネシア華僑の歌手である文章(本名:黃文章、1960年5月20日-)が1985年10月に発表した自身2枚目の同名のアルバム全10曲中の初頭1曲目に収録しているアルバムの表題曲です。


 黃文章は元々インドネシア国籍でしたが80年代に台湾に渡って活躍し、その後大陸に拠点を移し中共の宣伝をするような楽曲を演唱したりして一時期台湾での演芸活動禁止処分を受けたこともありますが、処分解除後の1997年8月に中華民國(台灣)国籍を取得して、現在は台灣を中心に活動しています。


 作曲・作詞は台灣では有名な作曲コンビである譚健常と小軒の夫妻が担当しています。
 夫の譚健常は仏領インドシナ(現在のラオス)出身の華僑でしたが、若い頃台灣に留学中にラオスが共産化する事態が発生して帰る家を失ったことから、台灣に永住して歌手兼作曲家となって現在に至っています。
 妻の小軒は、台灣の軍人家庭で育ち、父母の影響を強く受けたことから、台灣や支那の伝統文化や民族の情感を表現する作詞を得意としています。


 この「古月照今塵」も、作曲は譚健常、作詞は小軒の筈ですが、動画や歌詞紹介の資料の殆どで作詞・作曲者を逆に表示しており判然としません。
 歌詞の内容は、二千数百年前の春秋の歴史書から歌い起し、古の聖賢や歴朝の英雄を見習って、支那が最も隆盛を誇った漢代や唐代の版図を再建しようと詠ずるものです。
 この内容からは、作詞者はラオス出身の譚健常ではなく、軍人である父親が大陸から台湾に逃れてきた小軒が、文化大革命(1966~1976)で荒廃した父祖の地に思いを寄せて書いたものと考えるのが自然でしょう。
 漢代や唐代の版図は、現在中共が占領する地域の半分ほどしかありません。
 漢や唐の時代は長く泰平が続き文化が興隆したことから、漢人にとってはほぼ理想の時代と思われていることもありますが、中共が武力又は武力による威嚇により侵略した各自治区や満州の独立を暗に詠じているようにも感じられます。


 詞題に見える「今塵」とは、漢詩の慣用句で「今の世の中、俗世間」を意味しており、塵(ちり)や埃(ほこり)の意ではありません。
 歌詞の冒頭に見える「一部春秋史」とは、「一揃いの『春秋』の歴史書」という意味で、「春秋」とは支那に於ける魯の時代(紀元前紀元前722年~紀元前481年)の242年間に及ぶ王侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害(こうがい:バッタの大量発生による農業被害)といった自然災害などの史実を年表風にまとめた歴史書であるといわれていますが、その原本は失われています。
 現在伝わっているのは、下記画像に見える「春秋」の「傳(でん)」と呼ばれる注釈書のみで、その代表的な『春秋左(氏)傳』『春秋公羊傳』『春秋穀梁傳』の3つを併せて『春秋三傳(しゅんじゅうさんでん)』と称しています。


 【伊賀山人博物院収蔵書籍「古文觀止鑑賞巻之一『周文』」から引用】


 また、詞中に見える「千年」「百戦」「千里」などの数字の付いた表現は、年数が長いことや数が多いこと、距離が長いことを強調する表現で、数字本来の意味とは関係ありません。
 「滄桑」とは、支那の西晋・東晋時代の道教研究家・著述家である葛洪(かつ こう、283年(太康4年) - 343年(建元元年))が著したと伝えられる書『神仙伝』(しんせんでん)を出典とする故事成語「滄海桑田(そうかいそうでん)」の略で、青々とした大海ですら いつの間にか水が枯れ果てて桑畑になるという意味で、世の中の変化が激しいことの例えです。
 「漢疆和唐土」とは、直訳すると「漢代の国境と唐代の国土」となり分かりにくい表現ですが、ここでは互文的修辞技法と見做して、「漢和唐疆土」つまり「漢や唐の時代の版図」と解釈しておきます。


 黃文章の演唱するこの楽曲には、編曲の異なる幾つかのバージョンがありますが、今回は最もよく知られているカントリー・ウェスタン調の版でご紹介します。



 古月照今塵
 古の月が今の世を照らす
                作曲: 譚健常 作詞:小軒 原唱﹕文章
一部春秋史 千年孤臣淚
成敗難長久 興亡在轉瞬間
總在茶餘後 供於後人說
多少辛酸  話因果

一揃いの春秋の史書をひも解けば そこには千年(長年の形容)の主君と臣下の涙が見える
成功も失敗も永久には続きがたく 興亡は瞬間に所を変える
総じて後の世の人々の寛ぐときの 茶飲み話に供されている
どれほど多くの辛酸を嘗めたのか その因果の物語として


百戰舊河山 古來功難全 *1
江山幾局殘 荒城重拾何年
文章寫不盡 幽幽滄桑史
悲歡歲月  盡無情

古くから河や山で多くの戦が繰り返されたが 古来その戦功を全うすることは難しい
長江や山はどれだけ版図の中に残っているのか 荒れ果てた街はいつ復旧できるのか
文章に書いても書き尽くせぬ 奥深くしかも激しく移り変わる古今の世の中の歴史
悲しみや喜びに彩られた歳月は 無情に過ぎ去ってしまった


長江長千里 黃河水不停 *2
江山依舊人事已非 
只剩古月照今塵
莫負古聖賢 效歷朝英雄
再造一個輝煌的漢疆和唐土 *3

長江は永遠に千里を流れ 黄河の水は止まることを知らない
長江や山は昔のままの姿をとどめているが 人の世のことは既にこの世のものではない
ただ古の月だけが残って 今の世の中を照らしている
古の聖人や賢者の志に背いてはならない 歴代の王朝を支えた英雄を見習おう
そしてあの輝き煌いていた我が心の故郷の漢や唐の時代の版図を再建しよう


(間奏)


*1~*3 再唱
*2~*3 再唱


再造一個輝煌的漢疆和唐土
あの光輝ある漢や唐の時代の版図を再建しよう




古月照今塵