伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

学園広場


 「学園広場」は、日本の歌手舟木 一夫(ふなき かずお、1944年12月12日 - )が、今から55年前の1963年(昭和38年)10月に発表した楽曲です。


 舟木 一夫は1963年6月5日「高校三年生」を演唱してデビューし、8月には「修学旅行」を発表したばかりで、10月のこの曲が3曲目となりました。


 同時並行して映画も制作され、「高校三年生」は1963年11月16日に大映から公開されました。
 その僅か一箇月後の1963年12月15日には日活から「学園広場」が公開されましたが、超過密スケジュールの為、「高校三年生」が84分の作品であるのに対し、「学園広場」の方はその半分の43分という短いものでした。


 舟木和夫の「学園広場」は男子学生の歌として出来上がっていますが、翌年ペギー葉山が発表した「学生時代」は女子学生の歌になっています。



 今回は、青春ソングで一世を風靡した舟木一夫の原唱でご紹介します。
 作詞は関沢新一、作曲は遠藤実です。



 学園広場
 學園廣場
               作詞:関沢新一 作曲:遠藤実 演唱:舟木一夫
1節
空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
学園広場で 肩くみあって
友と うたった 若い歌

面向天空 提高的向手
年輕滿滿漏跳著
在學園廣場 肩膀組織起來
與朋友 唱的 年輕的歌


2節
涙ながした 友もある
愉快にさわいだ 時もある
学園広場に 咲いてる花の
ひとつ ひとつが 想いでさ

也有流眼淚的 朋友
也有愉快地騷亂的 時候
在學園廣場 開的花
一個一個是回憶


3節
ぼくが卒業 してからも
忘れはしないよ いつまでも
学園広場は 青春広場
夢と希望が ある広場

我畢業做也之後
忘記不做的啊 永遠
學園廣場 是青春廣場
有夢和希望的廣場





学園広場 舟木一夫

学生時代

【青山学院校内にある「蔦のからまるチャペル」の前に建立された「学生時代」の歌碑】


 「学生時代」(がくせいじだい)は、日本の歌手ペギー葉山(ペギーはやま:1933年12月9日 - 2017年4月12日)が、今から54年前の1964年(昭和39年)に発表した楽曲です。


 歌詞の内容は、ペギー葉山の母校である青山学院の女子高等部でのペギー自身の思い出を詠じたものです。


 作詞・作曲は、ペギー葉山の2年先輩で青山学院の大学卒業生である平岡精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)、当時「平岡精二クインテット」というジャズバンドを率いていた人です。


 平岡精二の書いた原詞の詞題は「大学時代」でしたが、大学進学率は戦後徐々に増大しつつあるとはいうものの、その当時でも23.3%、大学卒業率は僅か7.5%で同世代の13人に1人だけでした。


 昭和39年当時の日本人の人口は9800万人で、その内大学卒業者となると100人に1人もいない時代でした。


 このような中で、「大学時代」と題する楽曲では、多くの国民の共感は得られないと考えた女子高卒のペギー葉山の提案により、詞題は「学生時代」に改められました。


 このことが功を奏して、このレコードはミリオンセラーとなる大ヒット作となりました。


 詞中に見える「蔦のからまる チャペル」とは、キリスト教プロテスタントのミッションスクールである青山学院の校内にある「ベリーホール(国の登録有形文化財)」に連接する「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」のことです。


 「ベリーホール」とは、1931年(昭和6年)5月に神学部校舎として建築されたもので、建築のための寄付金集めなどに貢献した元神学部長のA.D.ベリー博士の名を付けられた建物ですが、現在は学校法人青山学院の本部として使用されています。


 「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」とは、「ベリーホール」と一体で建築されたもので、入り口は「ベリーホール」内に有ります。
 礼拝堂内部の備品が、ニューヨーク州のチャールズ・オスカー・ミラー夫人の遺志による寄付金で備えられたことから、この名が付けられています。


 上掲画像では、蔦のからまっている部分が「チャペル」で、その右のゴシック調の建物が「ベリーホール」です。


 本楽曲は、発表当時から青山学院内では「第二の学院歌*」とも呼ばれており、2009年(平成21年)3月18日には、青山学院創立135周年を記念して「学生時代」の歌碑が「蔦のからまる チャペル」前に建てられました。
 この歌碑の除幕式にはペギー本人と故人となった平岡精二の遺族が出席して、当時75歳であったペギーが亡き先輩を偲びつつ本楽曲を熱唱しました。
 なお、そのペギー葉山も昨年4月、83歳でこの世を去っています。

*筆者注:

 幼稚園から大学まで揃っている青山学院の「第一の学院歌」は、「青山学院の歌」という楽曲でしたが、1974年(昭和49年)に青山学院創立100周年を記念して、元院長大木金次郎の作詞に「学生時代」の作者平岡精二が曲を付けて、「校歌」が新規に制定されています。

 現在は、この「校歌」が「第一の学院歌」の位置づけになっています。

 
 今回は、やや音質が低下していますが、54年前のペギー葉山の原唱でご紹介します。
 なお、バック演奏は、「平岡精二クインテット」が担当しています。



 学生時代 
 學生時代

        作詞・作曲:平岡精二 演唱:ペギー葉山 演奏:平岡精二クインテット
 1節
つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりしあのころの 思い出をたどれば
なつかしい友の顔が ひとりひとり浮かぶ
重いカバンを抱えて通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクのにおい
枯葉の散る窓辺 学生時代

在爲地錦所纏繞的教堂裡 做出祈禱的日子
一追憶著那時候 所做的很多美夢的話
懷念的朋友的臉孔 一個個浮現出來
抱著沉重的包來往的那個道路
秋天的日的圖書館裡 筆記本與墨水的哎
還有枯葉散落的窗邊 學生時代


 2節
賛美歌をうたいながら 清い死を夢みた
何のよそおいもせずに 口数も少なく
胸の中に秘めていた 恋へのあこがれは
いつもはかなくやぶれて 一人書いた日記
本棚に目をやれば あのころ読んだ小説
過ぎし日よわたしの 学生時代

一邊唱讚美歌 一邊做夢見清純的死去
也不需要什麼打扮 也不做話語的數量也很少
向在胸中隱藏的 戀愛的憧憬
總是幻象破滅的 獨自一人寫的日記
如果為書架看的是 那個時候所讀的小說
所度通過的日子是我的 學生時代


 3節
ローソクの灯に輝く 十字架をみつめて
白い指をくみながら うつむいていた友
その美しい横顔 姉のように慕い
いつまでも変らずにと 願った幸せ
テニスコート キャンプファイヤー
なつかしい日々は帰らず
すばらしいあのころ 学生時代

すばらしいあのころ 学生時代~
注視著燭光輝煌的 十字架
一邊交叉白的手指 一邊低下頭來的朋友
一様的美麗側臉 像姊姊一樣地愛慕 
永遠往常一様 祈求著不變的幸福
網球場 露營火
所懷念的日子再也回不來了
好棒的那個時候 學生時代

好棒的那個時候 學生時代~




学生時代(昭和39年)ペギー葉山