伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

何日君再來〔何れの日か 君再た來たる:鄧麗君版〕

 【「陽関」の遺跡:甘粛省敦煌市】


 「何日君再来」(ホーリー ジュン ザイライ、邦題「いつの日君帰る」)は、「夜來香(イエライシャン)」と並び称されるチャイニーズ・メロディーを代表する1曲で2年前に蔡幸娟版でご紹介していますが、未だに人気記事の最上位にランクインしています。


 この楽曲は、1937年に上海で製作された映画『三星伴月』の挿入歌として、当時の人気歌手 周璇(しゅう・せん、チョウ・シュアン、1918年8月1日 ‐ 1957年9月22日)の演唱により空前のヒットとなりました。


 作詞者は貝林、作曲者は晏如で、歌詞の内容は送別の宴席で別れを惜しみ再会を願う心情を詠じただけのものですが、、「何日君再来」の発音だけを聞くと、漢字には同音異義語が多くあるため様々な意味に解釈できることから、戦前戦後を通じ時の権力者のさまざまな政治的思惑によって幾度となく演唱を禁止されるなど、数奇な運命をたどってきた歌謡曲として知られています。


 しかし1978年頃、鄧麗君(テレサ・テン)が歌唱禁止の解けたこの曲を録音して復活させました。
 人気は徐々に上がって、1980年 9月には台湾各地で大ヒットして 今や中華民国のみならず、全世界の中国人に歌われるチャイニーズ・メロディの代表曲となり、その後も数多くの歌手がこの曲をカバーしています。


 そこで、今回はこの楽曲を復活させた最大の功労者である鄧麗君の演唱をご紹介します。
 なお、和訳は漢文訓読体にしておきますので、口語訳は「蔡幸娟版」をご参照ください。



何日君再來 
何(いづ)れの日か 君(きみ)再(ま)た來たる


好花不常開,好景不常在。
愁堆解笑眉,涙灑相思帶。
今宵離別後,何日君再來。
喝完了這杯,請進點小菜。
人生難得幾回醉,

不歡更何待!
好花は 常には 開かず,
好景は 常には 在らず。
愁ひは堆(つも)り 笑眉を解かんとするも,

涙は灑(そそ)ぐ 相思の帶。
今宵 離別の後,

何(いづ)れの日か 君 再(ま)た來たる。
這(こ)の杯を 喝(の)み完了(を)へ,

點(いささか)小菜を進むるを請ふ。
人生 幾回か醉(ゑ)ふを得 難(かた)し,

歡(よろこ)ばずして 更に何をか待たんや!

台詞:

來、來、來,   

喝完了這杯再説吧。

(さあ、さあ、さあ、)

(先ずはこの杯を飲み干してから、またお話ししましょう。)


今宵離別後,何日君再來?
今宵 離別の後,何(いづ)れの日か 君 再(ま)た來たる?
 

(間奏)


停唱陽關疊,重擎白玉杯。  
慇勤頻致語,牢牢撫君懷。  
今宵離別後,何日君再来?  
喝完了這杯,請進點小菜。

人生難得幾回醉,
不歡更何待!    

陽關(ようかん)の疊(じょう)を唱(うた)ふを停(や)めて,
重ねて擎(あ)げん 白玉の杯。
慇勤(いんぎん)に語を致すこと頻(しき)りにして,
牢牢と 君の懷(おも)ひを撫(なぐ)さめん。
今宵 離別の後,
何(いづ)れの日か 君 再(ま)た來たる。
人生 幾回か醉(ゑ)ふを得 難(かた)し,
歡(よろこ)ばずして 更に何をか待たんや!

台詞:

唉…再喝一杯 乾了吧。 

(あゝ、もう一杯飲んで、飲み干してね。)


今宵離別後,何日君再来? 
今宵 離別の後,何(いづ)れの日か 君 再(ま)た來たる?


 筆者注:

 詩中に見える「陽関の疊」とは、盛唐の詩人王維作の七言絶句「元二の安西に使ひするを送る」、別名「陽関の曲」とも「渭城(ゐじゃう)の曲」とも呼ばれる送別詩を繰り返し歌うことを言います。

 「陽関」は、唐代に西域から支那へと到るシルクロードを制する要衝である支那北西部の辺境に置かれていた2大関所の一つで、北の「玉門關」の南に在ったことから「陽關」と呼ばれていました。

 場所は、現在の甘粛省敦煌市の南西約70kmで記事冒頭の画像はその遺跡です。




鄧麗君 何日君再來(HD高清)