伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

在水一方(水の一方に在り)

 《在水一方》は、1975年に公開された同名の台灣映画の主題歌として、台灣の女歌手の江蕾(コウ ライ 1952年-)が演唱した楽曲で、作曲は林家慶(リン カケイ1934年4月17日-)、作詞はこの映画の原作となる小説を書いた女流恋愛小説家の瓊瑤(ケイ ヨウ1938年4月20日-)が担当しています。
 なお、瓊瑤は1976年に小説《我是一片雲》を書き下ろし、それが翌年映画化された時にも同名の主題歌の作詞を担当しています。


 この歌詞は、小説家でもあり作詞家でもある瓊瑤が支那最古の詩篇である「詩経」の中に収録されている秦(しん、紀元前778年 - 紀元前206年)の民謡であった「蒹葭(けんか:オギとアシ。共に水辺に生える草)」と題する詩からイメージを膨らませて作詞したものです。
 《在水一方》の歌詞の内容は、2500年前の「蒹葭」とほぼ同様で、河の向こう岸に住む麗人に思いを寄せる男が、彼女に会いにゆきたいけれどもその手段がないのを嘆く気持ちを詠じたもので、七夕伝説を彷彿させるものになっています。
 なお、詞題に見える「水」とは、漢詩・漢文に於いては通常「河川」を意味します。


 今回は、江蕾の原唱でご紹介します。



 在水一方
 
河の向こう岸にいる
               作詞:瓊瑤 作曲:林家慶 演唱:江蕾


綠草蒼蒼 白霧茫茫
有位佳人 在水一方 
我願逆流而上 依偎在她身旁
無奈前有險灘 道路又遠又長
我願順流而下 找尋她的方向
卻見依稀彷彿 她在水的中央

緑草は黄味を帯びて青々と茂り 白い霧が一面に立ち込める 
あの麗しの人は 河の向こう岸にいる
流れに逆らって上り 彼女の傍に寄り添いたいと願うが 
岸辺の流れは激しく 道路は遠く又長く寄り付くことが出来ない
流れに随って下り 彼女の居場所を探し求めたいが  
ただかすかに見えるだけ まるで彼女が河の中央にいるかのごとく…


(間奏)


綠草萋萋 白霧迷離
有位佳人 靠水而居
我願逆流而上 與她輕言細語
無奈前有險灘 道路曲折無已
我願順流而下 找尋她的蹤跡
卻見彷彿依稀 她在水中佇立

緑草は勢いよく茂り 白い霧は景色をかすませる 
あの麗しの人は 河のほとりに住んでいる
流れに逆らって上り 彼女と少しでも語り合いたいと願うが 
岸辺の流れは激しく 道路は曲がりくねっていてなすすべがない
流れに随って下り 彼女の足跡を探し求めたいが
ただかすかに見えるだけ まるで彼女が河の中に佇むかのごとく…




江蕾 - 在水一方 / Romance in the Water (by Chiang Lei)



 おまけ;鄧麗君版↓

鄧麗君 - 在水一方



 詩経・秦風「蒹葭(けんか)」の解説はこちら↓

手術後の検査

 手術後には連日、CT検査、レントゲン検査、血液検査など多くの検査を受けた。
 チーム医療の為、手術には外科の他、内科、麻酔科、放射線科など多くの診療科が関係している。
 それらの診療科ごとに必要とする検査があるようで、中には重複しているものもあったように思う。


 入院病棟の病室は6階にあったが、殆どの検査室が外来病棟の1階と2階にあったため、痛む腹を抑えて往復するのも難儀なことであった。
 心優しい看護師が、『車椅子で送りますよ~』と言ってくれたが、病人くさいことは伊賀山人の美意識に反するので丁重にお断りした。
 「なんのこれしき。拙者とて武士の端くれ、自分の足で歩いて行く。」と言ってみたら、免許取り立ての若い看護師に妙にうけた。
 『うわ~! 面白い~ 時代劇みたい~』
 看護師は笑っていたが、伊賀山人は片腹痛かった。


 退院前日の早朝、血液検査の為この看護師からベッド上で採血された。
 移動する必要がないので楽なものであったが、昼ごろになって、この看護師がハサミを置き忘れてないかと探しに来た。
 この新米看護師はよく忘れ物をする。
 その1週間前には点滴台を探しに来たこともある。そんな大きなものを一体どこに忘れるのか不思議に思った。


 翌日、午前中に退院という時期になって、腹部レントゲン検査の予約が入った。
 二日前に全く同じ検査を受けているので、不審に思って主治医に訊ねてみた。
 「昨日、看護師さんがハサミを探しに来ていたが、痛くもない腹ならともかく、いつまでも痛い腹だから、中にハサミなど置き忘れていないか探られるのですかね~?」


 その日のレントゲン検査は中止になった。
 ハサミが見つかったのかどうかについては聞き漏らした。