伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

今日までそして明日から : 到今天又從明天


 「今日までそして明日から」(きょうまでそしてあしたから)は、シンガーソングライターのよしだたくろう(現表記:吉田拓郎)が大学在学中に作詞・作曲したものを、25歳を過ぎてからデビュー3枚目のシングルとして、1971年(昭和46年)7月21日にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売した楽曲です。
 この曲は吉田の代表曲の一つとして、発表から46年を経た今でも彼のコンサートではしばしばエンディングナンバーとして演唱されています。


 また、この曲の簡潔ながらも深い詩想に共感した10人以上の歌手によってカバーされています。


 この歌詞では、10回繰り返される「私は今日まで生きてみました」の句がキーフレーズとなっています。
 「生きて"き"ました」と表現すると、ただ単に「ずっと生き続けている」という意味になり、詩想は広がりません。
 「生きて"み"ました」と表現することにより、「試しに生き続けている」或いは「ともかく生き続けている」という意味になり、一体この人は何を考えて生きているのだろうかと想像力を掻き立てられます。


 作者の吉田拓郎、弱冠二十歳前後の作品ですが、この人は若い頃から老成した詩を作ることがよくありました。
 「私は今日まで生きてみました」の1句は、人生の意義や生きる意味についての深い思索の後、解答は得られないものの、明治の昔「人生不可解」として華厳の滝に身を投じた藤村操を真似る気にもならず、「取りあえず試しに今まで生きてきたのだ」と言外に表現しているように思われます。
 ただ、今まで生きてみて、他人の援助や協力或いは逆に裏切りや妨害などもあったことを詠じて、世間との関係についても簡潔明瞭に述べています。


 そして、「明日からも こうして生きて行くだろう」と結ぶことにより、今までどおり肩に力を入れない自然体の生き方を継続する意思を表明しています。


 「生きることに意味はあるのか?」という問いかけは、カール・グスタフ・ユングのように高名な心理学者が一生をかけて研究しても解けなかった人類永遠の謎です。
 そのような哲学的な疑問に煩わされることなく、とにかく生きていることが重要なのだと作者は主張しているように思えます。


 しかし、そのように詠じている作者も、実は生き方について一つだけ提案をしています。
 「わたしにはわたしの生き方がある それはおそらく自分というものを 知るところから始まるものでしょう」との連句は、一脈、孫子の兵法の「彼を知り己を知らば百戦殆からず」に通ずるもので、「先ずは自分の能力・適性を知った上で、他人の真似ごとではない自分らしい生き方をしよう」と主張しています。


 ところが、「自分らしい生き方」を望んではいても、現実の世の中、他人との関わりにおいてなかなかそれを実現するのも困難な場合もあります。
 そのようなときのために、「けれど それにしたって  どこで どう変ってしまうか
 そうです わからないまま生きてゆく
」と述べて、環境の変化への適応の必要性にも言及しているのであります。


 歴史とは、後世に名を残す一部の偉人や英雄・豪傑が作っているのではありません。
 大多数の名もなき一般大衆が形作っているのです。
 この詩は、その一般大衆が生きるための処世訓ともいえる内容を包含しています。


 生きる意味など分からなくても構いません。
 とにかく、生きていることそのものに意味があるのです。
 そのことが、この国の歴史、延いては人類全体の歴史を形成する一助にもなるのです。


 ところが、1971年にこの曲が発表された当時、伊賀山人と真逆の意見を述べる人もいました。
 当時、読売新聞文化部に所属していた大沼正という人は、レコード評で次のように書いています。

「"時にはだれかの力をかりて" "今日まで生きてみました"なんてさっぱり分からない。若者のちょっぴりした感慨を並べただけじゃないか、という気がする。よしだはフォーク界では、かなり通ってるらしいがこの歌に限り岡林や高石とはほど遠い。メロディもなく、歌にもなっていず、なによりフォークの持つ風刺やユーモアが欠けている。ボブ・ディラン近くは浅川マキを聞き直すべきだ」

 楽曲の解釈は人それぞれですが、全く異質なボブ・ディランと浅川マキを同列に論じるなど、どうもこの人は真面目に歌詞を読んでいないか、読んでも理解する能力に欠けているようです。
 当時のフォークソングと言えば、欺瞞的ともいえる反体制・反戦を声高に主張するものが主流であったとはいえ、このような無知蒙昧な輩が評論家気取りで垂れ流す雑音には惑わされぬほうがよろしいでしょう。


 今回は、オリジナルバージョンとその43年後に谷村新司が司会を勤めた歌番組の中で「~100年後の君に聴かせたい歌~」として紹介されたバージョンをご紹介します。
  2003年4月の肺がん手術から復帰してからは、吉田の歌い方にも一種の凄味が加わっています。
 

 【吉田拓郎歌碑】
 なお、  2008年8月3日に吉田の母校の広島修道大学(旧広島商科大学)では、彼が在学中に作詞・作曲したことを記念して、「今日まで そして明日から」の歌詞と1970年代と2000年代の吉田の写真を取り入れた歌碑を建立して、吉田拓郎と彼の作ったこの楽曲を永久に顕彰しています。




吉田拓郎 -今日までそして明日から-



吉田拓郎 今日までそして明日から 100年後に残したい歌 (BS日テレ)



今日までそして明日から
 到今天又從明天


わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時我藉助于誰,
 有時又被誰抱住。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。


わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時誰被我嘲笑,
 有時我被誰威脅。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。


わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時我被誰齣賣,
 有時我和誰攜手。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。


わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう

 我要有我的生活方法,
 恐怕要從
 知道自己是誰開始


けれど それにしたって
どこで どう変ってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです

 但是要了那個,
 在哪裡中怎樣變
 因那樣而不明白生動,
 是從明天開始的 那樣的我。


わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了。


そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと           

 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。
                     




【吉田拓郎】ライブ「今日までそして明日から」歌詞


  

白いカイト:白色風箏


 「白いカイト」は、日本の音楽ユニットMy Little Lover(マイ・リトル・ラバー)が、
1995年7月3日 にリリースした2枚目のシングル曲です。
 作詞・作曲は音楽プロデューサーの小林武史、この人はこの年の12月5日に発売された
1stアルバム『evergreen』から正式にこのバンドのメンバーに加入しています。


 歌詞の内容は、愛されることよりも愛することを求める心優しい乙女の孤独と期待とを詠じたものですが、眼前に静かに広がる海、空、白いカイトなどに乙女の心情を重ね合わせて描写し、更に地球や宇宙までも詠いこむことによりスケールの大きな作品に仕上がっています。
 また、詩中に「夏の色」「白いカイト」「暗闇」「夕暮れの空」「銀色の波」などの色彩を感じさせる詩語を畳み掛けるように盛り込んで視覚に訴えています。
 更に、聴覚的には「暗闇を Knock…」や 「鼓動打ち 呼吸してる」など微かな音を連想させる詩句を使うことにより、却って眼前の白いカイトの見える景色の静けさを強調して、乙女の寂寥感を効果的に表現しています。


 この楽曲は、あまり大きなヒットにはなっていませんが、巧みな歌詞とそれに合わせた曲の変則的な楽節の区切りも不自然さを感じさせない佳作です。



 白いカイト
 白色風箏

                   作詞・作曲・編曲:小林武史
                   演唱:MY LITTLE LOVER
悲しみの言葉は 全部すてたい 
愛はひとつの言葉では 語れないけど 
悲しくなる程 誰かを愛したい
それに気づかぬフリをして 時は流れた

悲傷的話語 想要全部拋棄
雖然愛只用一個字 無法言喻
想要愛一個人 愛到悲傷滿心
裝作對此毫無察覺 時間就這樣逝去


そして今 Chance Chance Chance 逃している 自分ばかりが目につく
世界は私だけおいて回り続ける

於是現在 機會機會機會 正在錯失 顯眼的總是自己
世界唯獨把我留下 繼續轉動


空は夏の色に染まる 白いカイトも揺れている
心の中つないだ恋のタイトロープ渡りたい

天空染上夏日的色彩 白色風箏也在搖曳
想要從心中搭起的戀愛的鋼索上走過去


誰かの言葉に 惑わされぬように
そして誰かの痛みから 逃げ出さぬように

不要被某個人的話語迷惑
也不要從某個人的痛苦中逃脫


暗闇を Knock Knock Knock してる気持ち 手探りしてあせってる
だけど心は探してる かさねあう瞬間(とき)を

面對黑暗 敲門敲門敲門 的心情 摸索著又焦慮著
然而心卻在尋找 重合的瞬間


雲の切れ間からこぼれる 輝く予感を集めて
ここで今 鼓動打ち 呼吸してる oh my soul

把從雲的縫隙間溢出的 閃耀的預感聚集起
於此時此地 心的脈動 呼吸著 噢…我的靈魂


夕暮れの空に向かって 少年はカイトを上げてる
まるで地球と話をしてるみたいさ なめらかに

面向黃昏的天空 少年放飛了風箏
根本像是在和地球對話一樣啊 流暢地


(間奏)


ここで今 鼓動打ち 呼吸してる oh my soul
於此時此地 心的脈動 呼吸著 噢…我的靈魂


銀色の波に向かって 白いカイトは揺れている
まるで宇宙とダンスをしてるみたいさ 永遠に

面向銀色的波浪 白色風箏正在搖曳
根本像是在和宇宙共舞一樣啊 永遠地






My Little Lover「白いカイト」