伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

老兵は死なず、ただ消え去るのみ(演説編)


 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ "old soldiers never die; they just fade away." 」との文言は、第2次世界大戦中から戦後にかけて連合国軍最高司令官(SCAP)を務めた米陸軍元帥ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)が、1951年4月19日にワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席して行った退任演説に引用したことから有名になりました。
 この文言は、マッカーサーがニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校に在籍していた当時(19世紀末)、兵士の間で流行していた風刺歌のフレーズを引用したものです。


 大東亜戦争終戦後、マッカーサーは占領軍総司令部(GHQ)の最高責任者として、日本の占領統治を担当していました。
 ところが、1950年6月25日に、中共の毛沢東とソ連のスターリンの走狗となっていた金日成が朝鮮人民軍(北朝鮮軍)を南下させて南朝鮮に侵攻を開始し朝鮮戦争が勃発しました。
 マッカーサーは、連合国軍最高司令官としてこの戦争指導も兼務することになりましたが、作戦当初は圧倒的に優勢な北朝鮮軍により連合軍は朝鮮半島最南端の釜山付近にまで押しやられる苦戦となりました。
 その後反攻に転じて北進し朝鮮半島全域を確保する目前で、中共軍が参入してまたまた38度線付近まで押し戻されてしまいます。
 この状況から、マッカーサーは中共の策源である支那本土への攻勢作戦開始と原爆使用とを主張して、中共やソ連との全面戦争を嫌う大統領のトルーマンと対立します。


 このような状況下の1951年4月11日、未だ戦争中であるにも拘らず、トルーマンは連合国軍最高司令官であるマッカーサーを解任してしまいます。
 後任者には、マッカーサーが全幅の信頼を寄せていた直属部下で、朝鮮で作戦指導中の第8軍司令官リッジウェイ中将が指名されました。


 翌4月12日、朝鮮から東京へ緊急赴任してきたリッジウェイ中将に業務を引継いだマッカーサーは4月16日に東京国際空港から本国に向かって飛び立ち、ハワイを経由してサンフランシスコに到着します。
 彼とその家族にとっては、実に14年ぶりの祖国への帰還となりました。


 3日後の4月19日に、マッカーサーは連邦議会の上下両院総会へ出席して、後の世に語り継がれることになる退任演説を行います。
 この演説の内容は、先ず国際情勢から説き起こし国内政治の在り方や米国の進むべき道を説いて、最後に自身の士官学校時代の思い出を述べて結びとしています。
 その原稿を普通に読めば20分程度のものですが、マッカーサーが一語一語噛みしめるように読んだことと、満場の議員による万雷の拍手と大歓声により演説がしばしば中断したことから、45分もかかる長い演説となりました。


 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ "old soldiers never die; they just fade away." 」の件は、演説終盤の若き日の思い出の部分で述べられています。


 今回は、丁度67年前の演説の中の「思い出」部分とそれを録画した動画をご紹介します。
 なお、動画については、演説の抜粋ですが「思い出」部分以外も収録されていますので、お忙しい方は、14分40秒以降をご覧ください。


 【マッカーサー退任演説終盤の「思い出」部分】


I am closing my 52 years of military service. When I joined the Army, even before the turn of the century, it was the fulfillment of all of my boyish hopes and dreams. The world has turned over many times since I took the oath on the plain at West Point, and the hopes and dreams have long since vanished, but I still remember the refrain of one of the most popular barrack ballads of that day which proclaimed most proudly that "old soldiers never die; they just fade away." And like the old soldier of that ballad, I now close my military career and just fade away, an old soldier who tried to do his duty as God gave him the light to see that duty.

"Good Bye."


 私は今、52年に及ぶ兵役を閉じようとしている。

 私が陸軍に入隊したのは、丁度世紀の変わり目であった。その当時、私は少年時代の夢と希望とに満ち溢れていた。

 私がウェストポイントの陸軍士官学校で入隊の宣誓をしてから、世界はしばしば流転を重ねてきた。そして、私の若き日の夢と希望とは、既に燃え尽きてしまった。しかし、私は当時兵舎で流行していた歌の終わりの繰り返し句を今でも覚えている。それは、この上なく誇り高く謳い上げていた。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ。」と。

 そしてその歌の中の老兵のように、私は今軍歴を閉じて正に消え去ろうとしている。神が光を以て指し示した「任務」の遂行に挑戦してきた一人の老兵として。

「さらば。」


我即將結束我52年的戎馬生涯了。還在本世紀開始前當我加入陸軍時,我孩提時代所有的希望和夢想便實現了。自從我在西點陸軍士官学校虔誠地宣誓以來,世界已幾經傾覆,希望和夢想也早已消失,但我仍記得那時最流行的一首軍歌中的句子,它自豪地宣佈:

“老兵永遠不死,他們只是悄然隱去。”

像那首歌中的老兵一樣,我作為一名在上帝的光輝下盡心盡職的老兵,現在結束我的軍事生涯,悄然隱去。

"再見。"



【マッカーサー退任演説抜粋(「思い出」部分は14分40秒以降)】↓

D・マッカーサー・老兵は死なず・さよなら・米議会演説・1951年



【アーブ・ジェフリーズが演唱する"old soldiers never die"】↓

Douglas MacArthur Tribute - Old Soldiers Never Die (1951), Herb Jeffries, vocalist
Herb Jeffries (born Umberto Alexander Valentino; September 24, 1913 – May 25, 2014)


 歌詞の解説はこちら↓

明天會更好:明日はきっと好くなる(台灣学生版)

 【東日本大震災津波の後に…】(2011.3 © itoh akane)


 未曾有の大災害東日本大震災の発生(2011.3.11)から既に7年が経過しました。


 日本では殆ど知る人もいませんが、この震災発生の1箇月後の4月17日に台湾新北市中和区にある華夏技術學院(かかぎじゅつがくいん、2014年 8月 「華夏科技大學」と改称 )の学生により日本を応援する1本の動画が作成されました。


 この動画の中で歌われているのが、「明天會更好(明日はきっと好くなる)」です。
 この楽曲は、昨年11月にも当ブログでご紹介していますが、元々は1985年12月に台湾の歌謡界を代表する60人以上のスター歌手が集結して作成したメドレー形式のチャリティーソングです。
 震災発生後、台湾ではテレビやラジオの日本支援の為の番組で、この曲が使用されて、人口は日本の僅か五分の一に過ぎない台灣で、250億円を超える世界最高の義捐金を集める原動力となった楽曲です。


 動画には、華夏技術學院で原民社(原住民の文化を研究する同好会)のサークル活動をしている学生による合唱が収録されています。
 勿論全員素人ですので、音程やリズムなどの歌唱力は台灣群星(オールスター)には及びもつきません。
 しかしながら、古来音楽の本質は、歌に託して人の心意を伝えることにあります。
 その意味では、学生の歌唱も職業歌手に優るとも劣らぬと言えるでしょう。


 今から丁度7年前の2011年4月17日に、この動画に添えられていたメッセージと伊賀流翻訳とを添付してご紹介します。


 重篤な病に苦しむあなたも、希死念慮や自殺願望に苛まれるあなたも、必ずどこかであなたに思いを寄せる誰かがいます。
 あなたは決して一人ぼっちではありません。
 先ずは信じることから始めましょう。


 「明天會更好」 今日よりも明日はきっと良くなると…


(2011/04/17 に公開されたメッセージ)

日本的災民們,我們是來自台灣華夏技術學院,這個祈福必定要持續不斷,不能因為時間而慢慢淡忘掉,雖然相鄰兩地,但是我們的心是一樣的,你們並不寂寞及孤獨,希望你們能振作起來,迎接更好的明天


(伊賀流翻訳)

日本の被災者の皆さん、私たちは台灣の華夏技術學院から、絶え間なき祈りを捧げます、どれ程の時間を経てもこの悲しみを忘れることはできません、私たちは海を隔てて隣り合う二つの地に別れていますが、ただ私たちの心はあなた方と一つです、あなた方は寂しくもなく孤独でもないのです、あなた方が元気になってくれるよう希望します、そしてよりよい明日を迎えられるよう…



 明天會更好 (ミン ティェン フゥェイ ゴン ハオ)
 明日はきっと好くなる


輕輕敲醒沉睡的心靈 慢慢張開你的眼睛
そっと揺り起こす熟睡している心 ゆっくりと開くあなたの瞳


看那忙碌的世界是否依然 孤獨地轉個不停
あのめまぐるしい世界は、依然として 孤独な回転を止めないのだろうか


春風不解風情 吹動少年的心
春風に風情はわからなくとも 少年の心を吹き動かす


讓昨日臉上的淚痕 隨記憶風乾了
きのうの顔の涙の跡は 記憶の風で乾かそう


抬頭尋找天空的翅膀 候鳥出現牠的影跡
頭をもたげて探す天空の翼 渡り鳥の現れた形跡を


帶來遠處的飢 荒無情的戰火 依然存在的消息
遠い国の飢えや苦しみや無情な戦火が 今も続くと知らせを運んでくる


玉山白雪飄零 燃燒少年的心
玉山の白雪が舞い落ちても 少年の心は燃え上がる


使真情溶化成音符 傾訴遙遠的祝福
真心で溶かして音符にしよう 遥か遠くに祝福を呼びかけよう


(部分合唱)
唱出你的熱情 伸出你雙手
讓我擁抱著你的夢 讓我擁有你真心的面孔

讓我們的笑容 充滿著青春的驕傲
為明天獻出虔誠的祈禱

あなたの情熱を歌って あなたの両手を差し伸べよう
あなたの夢をわたしに抱かせて あなたの真心の顔をわたしに見せて
わたしたちの笑顔を青春の誇りで満たそう
明日のために敬虔な祈りを捧げよう


誰能不顧自己的家園 拋開記憶中的童年
誰が自分の故郷を顧みず 記憶の中の少年時代を捨て去ることが出来るだろうか


(部分合唱)
誰能忍心看他昨日的憂愁 帶走我們的笑容
誰が彼の昨日の憂愁を見るに堪えて わたしたちの笑顔を運ぶことができるだろうか


青春不解紅塵 胭脂沾染了灰
青春を生きるわたしたちには埃にまみれた俗世間の紅白粉のことなどは分からない


讓久違不見的淚水 滋潤了你的面容
久しく見なかった涙があなたの顔を濡らす


(部分合唱)
唱出你的熱情 伸出你雙手
讓我擁抱著你的夢 讓我擁有你真心的面孔
讓我們的笑容 充滿著青春的驕傲
為明天獻出虔誠的祈禱

あなたの情熱を歌って あなたの両手を差し伸べよう
あなたの夢をわたしに抱かせて あなたの真心の顔をわたしに見せて
わたしたちの笑顔を青春の誇りで満たそう
明日のために敬虔な祈りを捧げよう


(部分合唱)
輕輕敲醒沉睡的心靈 慢慢張開你的眼睛
そっと揺り起こす熟睡している心 ゆっくりと開くあなたの瞳


看那忙碌的世界是否 依然孤獨地轉個不停
あのめまぐるしい世界は、依然として孤独な回転を止めないのだろうか


(部分合唱)
日出喚醒清晨 大地光彩重生
日が昇り目覚める清らかな朝、大地は再び明るい光で彩られる


讓和風拂出的音響 譜成生命的樂章
おだやかな風が吹き出す音響は 生命の楽章に曲をつける


 (合 唱)
唱出你的熱情 伸出你雙手
讓我擁抱著你的夢 讓我擁有你真心的面孔
讓我們的笑容 充滿著青春的驕傲
讓我們期待明天會更好

あなたの情熱を歌って あなたの両手を差し伸べよう
あなたの夢をわたしに抱かせて あなたの真心の顔をわたしに見せて
わたしたちの笑顔を青春の誇りで満たそう
わたしたちは期待しよう 明日はきっと好くなると…


 (合 唱)
唱出你的熱情 伸出你雙手
讓我擁抱著你的夢 讓我擁有你真心的面孔
讓我們的笑容 充滿著青春的驕傲
讓我們期待明天會更好

あなたの情熱を歌って あなたの両手を差し伸べよう
あなたの夢をわたしに抱かせて あなたの真心の顔をわたしに見せて
わたしたちの笑顔を青春の誇りで満たそう
わたしたちは期待しよう 明日はきっと好くなると…




Pray for Japan 為日本祈福-明天會更好