八(やつ)になりし時、祖父に問ひて言はく(伊賀山人)
私の母方の祖父は、明治初年の生まれで、中国地方の山間部に位置する僻村で医院を開業しておりました。
祖父の先祖は、明治維新に至るまでこの地を治めていた外様大名に代々仕える城代家老の家系でした。
祖父は、先祖代々の築年数も定かでないこの家老屋敷の一部を改築して、診療所にしておりました。
私が幼少の頃、既に80歳に近かった祖父は、殆ど診療はしておりませんでしたが、待合室で刻み煙草を燻らしながら近所の人々と囲碁に興じていたことはよく覚えています。
この屋敷の所在地は、山間部でもあり夏でも涼しかったことから、私は、夏休みのつど、今は亡き母に連れられて、避暑がてらに訪れては長期に亘り滞在したものです。
屋敷は、渡り廊下で繋がれた幾棟かの平屋造りでしたが、その一角の具足庫を兼ねた物見台だけが、急階段を上る2階になっていました。
2階には、鎧櫃が幾つもありその中には鎧兜や鎖帷子その付属品の軍配などが納められていました。
また、それに納まらぬ大小の槍が何本もありましたが、それらは階段の脇に沿って斜めに置かれていました。
階段に置いてある槍は、短いもので1メートルくらいのものから長いものでは5~6メートルに達するものもあり、この長いほうの槍は、とても八歳の私では持ち上がらないほどの重いものでありました。
私は、毎年、祖父の診療所を兼ねたこの屋敷を訪れては、2階に上がって、兄の助けを借りながら鎧兜を身に付けて、脇差や軽くて短い槍を振り回して遊んだものです。
八歳の夏、例年のごとく祖父の屋敷を訪ねてふと疑問に思いました。
何故、こんなに長くて持ち上がらないほどの重い槍があるのか? と。
早速、祖父に尋ねました。
「槍に長くて重いものがあるのは何故でしょうか?」
祖父は答えました。
『槍は長きを利とする。敵の槍より一寸たりとも長ければ勝ちを得る。槍の重きは不利にはならぬ。丈夫で穂先がぶれないのじゃ。』
私は、続けて問いました。
「それでは、何故、短い槍も有るのですか?」
祖父はまた答えました。
『戦の庭で、徒歩で戦う家来には持てる限りの長い槍を持たせてやらねばならぬが、馬上で指揮を取る主人は長い槍では扱いにくく、しかも下手に振り回すと家来を傷付けてしまうこともある。そこで、止むを得ず短い槍も主人用として準備しているのじゃ。』と。
この時、若干八歳の伊賀山人少年は、その後60年に及ぶ人生を一貫する、貴重な教訓を悟り得たのであります。
「自分の為には、”軽い槍”でもよいが、人の為には、”おもいやり”が必要なのだ!」と。
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