伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

「雨過天靑」の看板

 毎年10月は日本行政書士連合会が行政書士制度広報月間に定めているので、伊賀山人も今月は各役所やスーパーマーケットなどに赴き、広報ポスターや宣伝ティッシュ配り等に勤しんでおります。
 また、これを機に伊賀山人総合事務所の看板を新設しました。




 【コスモスの花越しに微かに見える現在の看板】


 従前は、事務所の玄関の扉にコスモスが成長すると隠れてしまうような、街の法律家としては甚だ控えめな看板を張り付けていました。
 山奥でもあり、訪れる方々からもっと好く見える看板をとのご要望もあり、構想3年製作1箇月をかけて新看板を設置しました。
 長い歳月を要した最大の原因は、所長伊賀山人が肝細胞癌を発症して1年間休業したためです。



 【門から明瞭に見える「雨過天靑」の新看板】


 靑色の看板は、近所の洋服屋から貰ってきたアクリル製の古い看板の裏側を使用しています。
 文字はペイントマーカーによる所長の直筆です。
 看板の最上部に在る黄金色の紋章は、今の時節に相応しい行政書士会のシンボルマークの「コスモス」です。
 看板の上下の枠と左右の柱は、3年前の台風で壊れた自宅(所在地非公開)のフェンスと雨戸の廃材を事務所に搬送して、所長自ら加工し組み立てて事務所の門内の空きスペースに穴を掘って埋め込んだものです。
 総製作費は、税込432円(百均のマーカー4本:増税前)でした。


 かかった手間ひまと所長の人件費を考えると、経済的には専門業者に注文したほうが遥かに安上がりです。
 しかしながら、既に余命の長からざるを悟っている伊賀山人としては、「雨過天靑」の看板を自分の手で仕上げてみたかったのです。


 筆者注:

「雨過天靑」とは、五代十国時代後期の後周の皇帝で後に世宗と謚(おくりな)される柴榮(921年10月27日-959年7月27日)が陶磁器の製作を命ずるにあたりその色合いに関して「雨過天青雲破處,這般顏色作將來」〔雨過天青(うかてんせい)雲破るる處(ところ),這般(しゃはん)の顏色(がんしょく)作將(さくしょう)し來たれ〕(雨上がりには天が雲を破って青空を見せる、そのような色合いのものを作って持ってこい。)と語ったとする故事に由来する成語です。

 この「雨がやみ、空が晴れわたる」とは、暗に当時の殺伐とした戦乱の暗雲を吹き払うということも意味しており、その意から転じて「悪かった状況や状態が、良い方向に転ずること」の例えとして使われています。

 なお、「雨過天靑」は「雨過天晴」とも書きますが、意味は全く同じです。



鳳飛飛好歌MV - 《雨過天晴》

追記:

 この楽曲の「雨過天晴」は、故事成語ではなく文字通りの「雨が止んで空が晴れあがった」ことを意味しています。