タイ王国(親日の国)
【19世紀末から20世紀初頭の東南アジアの植民地支配】
タイ王国は、上掲の図のとおり、東南アジアでは唯一、植民地支配を受けない独立国でありましたが、常に英仏の圧力を受ける難しい立場にありました。
大東亜戦争中は、日本に積極的に協力しており、日本軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当しています。
その一方で、アメリカなどの連合国とも連絡をとるという二重外交を展開し、戦後の欧米による占領を免れました。
戦時中の泰国(タイ)駐屯軍司令官であった中村明人元陸軍中将は、1955年6月、タイ王国に国賓待遇で招かれ、10年ぶりにその地を訪れました。
現地の新聞「サイアム・ラット紙」の主幹をしていたククリット・プラモート氏は、中村元司令官に次のように述べたと伝えられています。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない。」(ククリット・プラモート談)
この文学者でもあり演劇家でもあったククリット・プラモート氏(1911年4月20日 - 1995年10月9日)は、その20年後の1975年にはタイ王国の首相に就任し、様々な分野で多くの業績を残した品格ある人物として知られるタイ王国を代表する要人です。
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