伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

望春風


 「望春風」は、1933年(昭和8年)に台灣の女歌手である純純(じゅんじゅん:スンスン、台灣人、本名劉清香、1914年-1943年1月8日)の演唱で発表された台灣語の歌謡曲で、「台灣歌謠之父」とも「台灣民謠之父」とも称されている作曲家の鄧雨賢(とう うけん、1906年7月21日 - 1944年6月11日)が残した作品の中で、所謂『四月望雨』(「四季紅」、「月夜愁」、「望春風」及び「雨夜花」の4曲のこと)として並び称されている四大傑作の一つです。
 なお、原唱の純純は台北出身の台灣語(台灣閩南語:台語)流行音樂歌手で、1930年代から40年代の初頭まで、台灣語だけでなく日本語の流行歌も歌って活躍しましたが、新婚の夫白石先生(日本人)が肺結核を患って以来、献身的に看病に努めた末、自らも結核を発症して29歳の短い生涯を閉じています。


 『四月望雨』の中でも、大正ロマンを髣髴させる優しい旋律に乗せて、片思いの乙女の心情を素直に切々と詠い上げたこの「望春風」は、発表から84年を経た現在(2017年)でも台灣の人々の琴線に触れる台灣歌謡の代表曲と言える名曲です。


 詩題の「望春風」とは「春風を待ち望む」という意味ですが、ここで「春風」というのは春風そのものを意味するだけではなく、乙女が思いを寄せる青年のことをも意味しています。
 春風が吹いてくるように青年も訪れて来て、自分の家の門戸を敲(たた)いて欲しいと願う乙女の心情を間接的に表現しています。


 この歌詩を現代人の感覚で読むと、単なる恥ずかしがり屋の少女の歌と解されてしまいますが、より理解を深めるためには当時の時代背景を知っておくことも有用です。


 この楽曲が作られた1930年代昭和初期の台灣では、日本統治下で日本式の教育が行われていたこともあり、その道徳観は日本とほぼ同じでした。
 当時の日本では、乙女が恋愛のことを口にするのも憚られる時代であり、ましてや「好きです」「愛してます」などと言うのは、一部の芸者や娼婦の物言いであり、良家の子女が自分の方から男子に恋心を告白することなど決して叶わぬ夢物語の時代でした。
 このような乙女の心情は、日本本土に於いても1906年1月に発表された伊藤左千夫の小説『野菊の墓』に登場する「民子」が主人公の「政夫」に終生本心を明かすことができなかったことからも推し量ることが出来ます。
 したがって、この詩に見える乙女の淡い恋心とそれを打ち明けることのできないもの悲しさは当時の乙女一般の心情であり、そのことがこの楽曲を広く台灣の人々の心に響く名曲ならしめたのであります。


 この詩を書いた李臨秋(り りんしゅう、1909年4月22日-1979年2月12日)は、当時まだ23歳の青年でしたが、古典文学などに造詣が深く、元曲(元代に作られた歌劇のようなもの)の代表作『崔鶯鶯待月西廂記(西側の部屋で月を待っていた崔鶯鶯の伝記)』の中で、19歳の女主人公崔鶯鶯(さいおうおう)が「隔牆花影動、疑是玉人來(垣根の向こうの花影が動いただけで、思いを寄せる素敵な人が来たかと思う)」と詠ずる一句から詩想を得て、乙女の心のときめきを表す詩を書いたと言われています。


 詩形は、七言句五言句が連続する七五調の雑言定型詩になっていますが、平仄押韻は古来の漢詩のものではなく、あくまでも新体詩に分類されるものです。
 言語は、大東亜戦争後、国共内戦に敗れて大陸から台灣に逃れた国民党政府が持ち込んで現在台灣の國語とされている北京語由来の台灣國語ではなく、戦前の台灣で使用されていた閩南語由来の言語で現在も本省人(戦前から台灣に居住している漢人)が使用する台灣語(=台灣閩南語=台語)で書かれています。
 この台灣語や廣東語のような支那南方の言語は、古代の支那語の発音を色濃く残していますので、日本語の音読みの漢音(唐代の長安音)に似通ったところがあります。
 なお、台灣語の発音では、この詩は各句の末が韻を踏んでいます。


  一方、台灣民謡の父或いは台灣歌謡の父として称えられている作曲者の鄧雨賢は日本に留学した経験もある客家人(古くから台湾に渡来している客家語を母語とする漢人、多くは古代支那の王族の末裔)で、多くの人々に愛される作品を残し「東洋のフォスター」とも称されています。


 以下、この詩の原文と伊賀流の和訳文とを掲載し、最後に「小鄧麗君(小テレサ・テン)」とも「東方雲雀(東洋のヒバリ)」とも称される台灣の國民的歌手蔡幸娟(さい・こうけん:ツァイ・シンチュアン、1966年3月18日- )小姐の動画を添付して読者各位のご高覧に呈します。



 望春風  (春風を待ち望む) 
               (1933年)作詩(台灣語):李臨秋 作曲:鄧雨賢


一節、
獨夜無伴守燈下 (一人ぼっちの夜 灯りの下に近寄ると)
清風對面吹   
(爽やかな風が 顔に吹き寄せてくる)


十七八歳未出嫁 (十七・八の嫁入り前の私は)
遇著少年家   
(若い男の人に思いがけず巡り合ったの)


果然標緻面肉白 (本当に端正な色白の顔立ち)
誰家人子弟   
(どちらの家の人かしら)


想要問伊驚歹勢 (声をかけてみたいけれど 恥かしくて口には出せない)
心内彈琵琶   
(胸の鼓動は まるで琵琶を弾く音色のよう)



二節、
想要郎君做尪婿 (貴方と結ばれたいとは願うけれども)
意愛在心内   
(慕う気持ちは心の中に秘めるだけ)


等待何時君來採 (待ち望んでいるのに貴方はいつ摘みに来てくれるのでしょうか)
青春花當開   
(青春の花を今まさに咲かせて待っているこの私を)


聽見外面有人來 (外に誰かが来たような音が聞こえて)
開門甲看覓   
(すぐに扉を開けて見た)


月娘笑阮憨大呆 ( お月さまが私のことを笑っていたわ「お馬鹿さんね」)
被風騙不知   
(「風に騙されたとも知らないで」と)


注:

 「月娘」の「娘」とは、ここでは日本語の「娘」とは逆に「母親」の意で使われています。

 「月娘」とは、直訳すれば「月母さん」ということになりますが、月のことを親しみを込めて呼んだものと見做して、「お月さま」と訳してみました。

 「阮」とは、「我々(我)」を意味する台灣語(閩南語も同じ)で、一般的には複数代名詞の「私たち」を意味しますが、この歌詞では単数代名詞の「私」の意で使用されています。




蔡幸娟-望春風HD