百福
【百福圖 支那文學者黑川洋一老師書】
「百福(ひゃくふく)」とは、古来より伝わる篆書体(てんしょたい)の「福」の字を百種類選んで揮毫(きごう)したものです。
「百福」という語はもともと支那(黄河流域から長江流域にかけての地域名称)の言葉で、百とは限らず「たくさんの福」というような意味です。
篆書体(てんしょたい)とは支那の紀元前の王朝西周~秦の時代に公文書に使われていた書体です。
その後、漢字が隷書や楷書など現在使用されている字体に統一されてからも、印鑑の書体(印篆)や観賞用の書体などに使われていたことから、漢代以降、篆書体には大量の装飾書体が派生しました。
それら数多くの篆書体の中から百字を選んで1枚の紙や布などに揮毫したものを「百福図」と言います。
この「百福図」を最初に書いたのは、唐代中期の書家李陽氷(り ようひょう:字は少温)だといわれています。
「福」の字はもともと「福」と書き、その成り立ちは偏(へん)の「示」偏が神様への捧げものを乗せる台を表わし、旁(つくり)の「畐」は、酒樽を表わしています。
つまり、神様に酒を捧げ、酒樽のように満ち足りて幸せになることを祈る様から、「福」は「幸い」の意味を表わすようになりました。
この「福」を百字も集めた「百福図」を掛け軸などにして、家に飾っておくと、特別な「福」がもたらされると古来信じられてきました。
記事冒頭の掛け軸は、大阪大学名誉教授でもあった支那文学者の黒川洋一(くろかわ よういち、1925年 - 2004年9月23日)先生の揮毫になる書を、伊賀山人の母親が生前譲り受けて来て自らの趣味で掛け軸に表装したものです。
戊戌の新年を迎え、読者各位に百福来るを願い、ご高覧に呈します。
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