山川異域 風月同天(武漢へ贈る慈善歌曲)
「山川異域 風月同天」(邦題:山河は違えど風月は同じ空に通ずる)は、山東省出身のシンガーソングライター 程璧(ていへき、チェン・ビー、女、生年月日非公開)が東京の音楽スタジオ「SOUND STUDIO NOAH 初台」で録音して、 2020年2月8日に日本と中共で同時に発表した慈善歌曲(チャリティーソング)です。
程璧(チェン・ビー)は、大陸山東省の生まれで北京大学外国語学院日本語科を卒業後に来日して一時期、株式会社日本デザインセンターで勤務していましたが、その後音楽家として独立し、現在は東京と北京を拠点に活動しています。
彼女の出身地山東省は、黄河下流域に位置する省で、黄河は山東省の北部で渤海に流入しています。
この地域は、春秋時代の王朝名を採って古来、「魯(ろ)」と称されています。
魯(ろ)は、孔子や孟子、孫子や諸葛孔明、王羲之や顔真卿(一青窈の祖先)など数多くの思想家、兵家、文人、政治家などを輩出していることで知られています。
【程璧】
この楽曲「山川異域 風月同天」は、昨年12月8日に新型肺炎が発生して現在封鎖されている湖北省武漢市を支援するために作られたもので、その収益金は全額武漢市に寄付されることになっています。
「山川異域 風月同天」との語句は、今から1300年ほど前の奈良時代(支那では中唐時代)に日本で政権を担っていた長屋王〔ながやおう/ ながやのおおきみ、天武天皇5年(676年)/天武天皇13年(684年)? - 神亀6年2月12日(729年3月16日)〕が、唐の僧侶に寄進した1000枚の袈裟に刺繍していた次掲の「偈」(げ、仏典において詩句の形式で思想・感情を表現したもの。漢語では偈佗(げだ)・伽陀(かだ)或いは句・頌(じゅ)・諷頌(ふじゅ)などとも称し形式は一句が四言又は三言・五言で、四句からなるものをいう。)の前半の二句で、今年1月下旬から日本青少年育成協会が武漢支援のため湖北省内の大学などに送った物資の包装に記していたことから今の人々にも知られるようになりました。
この偈(げ)には押韻がなされていますが、四言であるが故に当時の唐代に隆盛を見た「近体詩(1句が五言又は七言)」ではなく四言古詩に分類されるものです。
ところが、この古詩の平仄(アクセント)・押韻は「一三不論」「二四不同」「同字重出の禁」など近体詩の厳格な規則に合致しており、更に対句を用いていることから長屋王が有能な政治家であるとともに漢籍に関する造詣の深い知識人であったことが窺われます。
蛇足ながら、日本最古の漢詩集「懐風藻」には長屋王作の漢詩が三首収められています。
なお、四字句の場合には、二字ごとに区切りがあるのが基本です。
例えば、「寄諸佛子」であれば「寄す諸(これ)を 佛子に」となり、返り点を付けて「諸(これ)を佛子に寄す」と訓読します。区切りを無視して「諸佛子に寄す」とか「子に諸佛を寄す」などと訓読したのでは意味が異なってしまいます。
長屋王の偈(げ)
四言古詩平水韻下平聲一先
(白文)
山川異域 風月同天
寄諸佛子 共結來緣
(訓読文)
山川 域(いき)を異(こと)にすれども 風月 天を同じうす
諸(これ)を佛子に寄せて 共に來緣(らいえん)を結ばん
(口語訳)
お互いの山や川の存在する地域は異なるけれども
心地よい風や清かな月が浮かぶ天は同じものであり隔てはない
この袈裟を唐土で仏に仕える僧に贈り
同じ天下に住む者として共に良い結果の生ずる緣を結びたいと思う
(平○仄●・押韻◎)
○○●● ○●○◎(◎平水韻下平聲一先)
●○●● ●●○◎
程璧(チェン・ビー)は、この楽曲「山川異域 風月同天」を作るにあたり、前述の長屋王の偈(げ)に加えて、主に唐代の漢詩数種の一部を引用して次のように歌詞を編集し自ら作った曲を付けて完成しています。
山川異域 風月同天
(邦題:山河は違えど 風月は同じ空に通ずる)
作曲・演唱:程璧
(第一節)
晴川歷歷漢陽樹
芳草萋萋鸚鵡洲
日暮鄉關何處是
煙波江上使人愁
(第二節)
山川異域 風月同天
莫問前路 天涯比鄰
願春早來 花枝春滿
山河無恙 人間皆安
(第三節)
青山一道同雲雨
明月何曾是兩鄉
此去與師誰共到
一船明月一帆風
(第二節を再唱)
歌詞は三節からなっており、演唱では最後に第二節を再唱して締めくくりとしています。
第一節では武漢に在る古跡「黄鶴楼」に因み、盛唐の詩人崔顥(さいこう)作の七言律詩「黄鶴樓」の後半四句をそのまま引用しています。その大意は長江右岸(東側)に在る黄鶴楼から長江の対岸(西側)に見える漢陽(現:武漢)の木々や川の中州(鸚鵡洲:自然の地形変化により現存する鸚鵡洲とは位置が異なる)に生い茂る春草を遠望して、望郷の念を詠じたものです。この詩では二句ごとに対句を構成しています。
第二節では、長屋王の偈(げ)の前半二句を引用し、異なる地域に居ても同じ天下に住む友人であることから詠い起しています。次の第三句目に「莫問前路」とあるのは盛唐の詩人高適(こうせき)作の七言絶句「別董大」の中の一句「莫愁前路無知己」を踏まえたもので、「行く先に友人のいないことを心配する必要はない」との意です。第四句目の「天涯比鄰」とは初唐の詩人王勃(おうぼつ)作の五言律詩「送杜少府之任蜀州」の中の一句「天涯若比鄰」を踏まえたもので、「私は君のことをいつも心に掛けているのだから行く先が例え天の果てであっても隣り近所のようなものだ」と遠隔地に旅立つ友人を慰めるものになっています。第二節の後半四句「願春早來 花枝春滿 山河無恙 人間皆安」は、「陽春が早く来て 花の枝が満開になり 故郷の山河が平穏で 世の中が安全になるように願う」との趣旨で、原典は不明ですが立春を迎えた祝意を表す慣用句です。なお、「願春早來」は「願春天早來」に作る方が多くみられます。(春天とは単純に春の意でもあり陽春の意でもある。)
第三節の前半二句は、盛唐の詩人王昌齢(おうしょうれい)作の七言絶句「送柴侍御」の後半二句をそのまま引用して、「我々の間に横たわる青山にも一筋の道が通じており、雨や雲、更には明月も同じものを見ることができるのだ」と指摘して別離の悲傷を癒すものになっています。この節の後半二句では、晩唐の詩人韋莊(いそう)作の五言絶句「送日本國僧敬龍歸」の中の後半二句を引用していますが、その大意は「今ここを去って日本に帰る敬龍法師に誰が付き從って共に行くのだろうか? それは船の上に輝く明月とその船の帆に吹きつける風だけである」と孤独な旅路の寂寞感を詠ずるもので、ここだけは武漢を応援するという歌詞全体の詞意には必ずしも適合していませんが、或いは韋莊の書いた送別詩の趣旨とは異なる解釈をしているのかもしれません。
以下、漢籍の原典を踏まえて、伊賀流の訓読文と口語訳とを添付し併せて武漢を始め世界中の肺炎罹患者の一日も早い快復と流行の収束を祈りつつ、久しぶりの長編書き下ろしの筆を擱きます。
山川異域 風月同天
作曲・演唱:程璧
(白文)
晴川歷歷漢陽樹 (崔顥「黄鶴樓」)
芳草萋萋鸚鵡洲
日暮鄉關何處是
煙波江上使人愁
山川異域 風月同天 (長屋王「偈」)
莫問前路 天涯比鄰 (高適「別董大」:王勃「送杜少府之任蜀州」)
願春早來 花枝春滿 (立春祝詞)
山河無恙 人間皆安
青山一道同雲雨 (王昌齢「送柴侍御」)
明月何曾是兩鄉
此去與師誰共到 (韋莊「送日本國僧敬龍歸」)
一船明月一帆風
(訓読文)
晴川(せいせん)歴歴(れきれき)たり 漢陽(かんやう)の樹(じゅ)
芳草(ほうさう)萋萋(せいせい)たり 鸚鵡洲(あうむしう)
日暮(にちぼ)鄕關(きゃうくゎん) 何(いづれ)の處(ところ)か是(これ)なる
煙波(えんぱ)江上(かうじゃう) 人をして愁(うれ)へしむ
山川(さんせん)域を異にすれども 風月(ふうげつ)天を同じうす
前路を問うこと莫(なか)れ 天涯(てんがい)も比鄰(ひりん)のごとし
願はくは春の早(つと)に來たりて 花枝(くゎし)春に滿ち
山河に恙(つつ)がなく 人間(じんかん)皆な安(やす)んぜんことを
青山(せいざん)一道(いちだう) 雲雨(うんう)を同(とも)にす
明月何んぞ曾(かつ)て 是れ兩鄉(りゃうきゃう)ならんや
此(ここ)を去りて 師と誰か共に到らんや
一船(いっせん)の明月 一帆(いっぱん)の風
(現代口語訳)
晴れ渡った長江の向こうにくっきりと、漢陽の木々が見えている
香しい春草が中州の鸚鵡洲に生い茂っている
日暮れ時になってきたが我が故郷はいづれの方角にあるのだろうか
夕靄の立ち籠める川面が人に郷愁を引き起こさせる
お互いの山や川の存在する地域は異なるけれども
心地よい風が吹き清かな月が浮かぶ天は同じものである
行く先の前路の困難を問う必要はない
この世界に友人がいれば天の果てでも隣近所のようなものなのだから
陽春が早く来て 花の枝が春爛漫となり
山河に禍がなく 世の中の人々皆が安心して暮らせるよう願っている
我々を隔てる青山にも一筋の道が通じて雨や雲を共にすることができる
美しい明月が二つの里で別々のものだったことがかつてあっただろうか
ここを去って日本へ帰る法師のお供をするのは一体誰であろうか
それは孤船を照らす明月と孤帆に吹く海風だけである
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