伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

秋詩篇篇(秋の詩集)


 「秋詩篇篇」(秋の詩集)は、台湾の玉女歌手(美人歌手)銀霞(ぎんか、YinShia,1959年5月21日-)が、1977年に17歳で出道(デビュー)したその年に発表した最初のアルバム『秋詩篇篇』全12曲のA面6曲中第1曲目に収録している同名の表題曲です。
 この楽曲は、同名の映画の主題歌としても使用されて、爆発的な人気を呼びました。


 作詞・作曲は台湾を代表する音楽家の劉家昌(1940年或1943年4月13日-)が担当しています。
 また、銀霞のアルバム『秋詩篇篇』のB面2曲目には劉家昌自身の演唱も収録されています。


 詞題に見える「篇」とは、竹冠が示すように本来の字義は、紙が普及していなかった時代に、文章や詩を書くために竹を薄く削って札状にした「竹簡」を示しています。
 その後、「木簡」も含めて「篇」と称するようになり、それが転じて個々の詩や文章を意味するようになりました。
 「篇篇」とは、詩が複数あることを指しており、「詩集」を意味しています。
 なお、日本では「篇」の字が常用漢字に含まれていないため、「編」で代用することが多いのですが、「編」のほうは、糸偏が付いているように、本来は個々の「篇」を糸で束ねて詩集などの書物にしたものを意味します。


 歌詞の内容は、思い出に残る晩秋の紅葉の風景から歌いおこし、あっという間に風雪の吹きすさぶ厳寒の冬になった今の景色を詠ずることにより時の流れの早さを指摘して、最後に思いを寄せる人に会うためには桜咲く春まで待つことなく、時期を失さぬよう今すぐ雪を踏み分けて訪ねて行こうと主張して結びとしています。


 劉家昌は漢籍に造詣の深い人のようで、作詞は短いものが多いのですが、詞語は典拠をふまえた古来の用法が多く、この歌詞も非常に深遠で余韻を感ずるものになっています。


 詞中に見える「流水」の詞語は、直接的には川を流れる水を意味していますが、十国南唐(江南)の第3代(最後)の国主李煜(り いく)の絶筆となった詞「浪淘沙」に「流水落花春去也」(水が流れ去り、花が散って、春は過ぎ去った。)との用法が有るように、「流水」は、時の流れを象徴しています。
 「轉眼之間」(目を転ずるの間)とは、「目を動かすあいだ」という意味ですが、転じて瞬きするほどの短い時間を示しています。
 また、「芳蹤」とは、字義通りであれば「芳しい足跡」ということですが、これは美しさが香るほどの麗人を婉曲に表現する詞語です。


 歌詞の最後の二句「莫待櫻花樹開春來 也踏雪尋芳蹤」(桜の花開く春が来るまで待つことなく 雪を踏んであの麗しの人を訪ねよう)との表現は、孔子が編纂したと伝えられる支那最古の詩集「詩經」の中の「國風」の中の「邶風」(はいふう、邶の国の歌)の《匏有苦葉》(ほうゆうくよう、瓢箪には苦い葉ができる)の段に見える「士如歸妻、迨冰未泮。」(士(わかもの)よ如(も)し妻を歸(めと)るならば、冰(こおり)の未(い)まだ泮(と)けざるに迨(およ)べ。」を意識したものです。


 今回は、作詞・作曲した劉家昌自身の演唱でご紹介します。
 なお、この歌詞の中の「櫻花樹開春來」はやや分りにくい表現なので、本人のライブ版では、「樹」を「盛」に修正して「櫻花盛開春來」と演唱しています。



秋詩篇篇
秋詩篇篇(しうしへんぺん)
秋の詩集

                      作詞・作曲・演唱:劉家昌
(白文)
深秋楓又紅 
秋去留殘夢
我心付諸於流水 
恰似落葉 飄零
轉眼之間 
白雪遮晴空
寒風襲嚴冬
莫待櫻花樹開春來
也踏雪尋芳蹤


(訓読文)
深秋(しんしう) 楓(かへで)又た紅(くれなゐ)なり 
秋去りて殘夢を留む
我が心をもって諸(これ)を流水に付せば 
恰(あたか)も落葉(らくえふ)に似て 飄零(へうれい)す
眼を轉(てん)ずるの間 
白雪(はくせつ) 晴空(せいくう)を遮(さえぎ)り
寒風(かんぷう) 嚴冬(げんとう)を襲(おそ)ふ
待つ莫(なか)れ 櫻花(あうくゎ)樹(き)に開く春の來たるを
也(ま)た雪を踏みて芳蹤(はうしょう)を尋(たづ)ねん


(口語訳)
秋が深まり紅葉は更に赤みを増していた
秋が過ぎても見果てぬ夢が心の中に残っていた
私は川のように流れ去る時の移ろいに心を託してみた
私の思いはまるで落ち葉のように枯れ散って流れて行った
瞬く間に
白雪が晴れた空を遮り
寒風が吹きすさぶ厳しい冬が襲ってきた
桜の花が樹に咲きほこる春が来るまで待ってはならない
やはり雪を踏んであの麗しい人を訪ねてゆくことにしよう



 
 劉家昌の公式フルバージョン版 ▼

劉家昌 - 秋詩篇篇 (官方完整版MV)



 劉家昌のライブ版 ▼

刘家昌 :秋诗篇篇 + 在雨中 (容祖儿 合唱)