伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

空に星があるように(演唱:荒木一郎)


「空に星があるように」(そらにほしがあるように)は、日本の俳優荒木一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )が22歳の折に自ら作詞・作曲・演唱して1966年9月5日に発売した、本人の歌手としてのデビューシングルレコードのA面に収録している楽曲です。
 この楽曲は、荒木がパーソナリティを務めた東海ラジオの番組『星に唄おう』のテーマ曲として使用されたことから全国的に知られるようになりました。
 このレコードは当時60万枚を超える売り上げを記録し、荒木はこの曲で第8回日本レコード大賞新人賞を受賞して、俳優業と併せてシンガーソングライターの草分けとして活動を始める嚆矢(こうし)となった楽曲です。


 歌詞は、四節からなり起承転結を構成しています。
 また各節に対句を取り入れており巧みです。
 起節で空に星があるように自分の心の中に永遠に変わることがない小さな夢があることから歌い起こし、承節では永遠であったはずのその夢が時の流れの中で無情にも消え去った心象を詠じています。転節ではそれまでの心象描写から一転して寂しく星を見つめて涙にくれる自分の状況を叙景的に詠じ、結節でそのような不幸な出来事は誰にでもあることで季節の変わり目のようなものと詠じて結びとしています。


 詞中に見える「小さな夢」がなんであったのかは具体的に書かれていないので、聞く人それぞれの立場で解釈することができる余情が包含されています。
 承節の「風が東に吹く」とは、季節が西風の吹く秋であることを示しており、萬物に勢いのある夏が過ぎ去り憂いを含む秋になったことを表現して、次句の「川が流れて行く」と併せて時の推移を表象しています。
 また、結節に見える「それは誰にもあるような ただの季節のかわりめの頃」との句は、時の流れは永久に続き、巡る季節の中で幸福と不幸とは繰り返し訪れるもので、先のことは予測できないということを言外に指摘しているものです。
 この指摘は、支那の古典『淮南子』(わいなんし、えなんじ)の中の「人間訓」(じんかんくん)を典拠とすることわざの「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)と軌を一にする哲学的な概念です。

筆者注:

 「人間」(じんかん、にんげん)の詩語は本来「人のいる空間」を意味しており、「世間」或いは「世の中」のことを指しています。日本語ではいつごろからか誤用して「人間」を「人」と同義と見做して現在に至っているため、「人間」の詩語を本来の意味で使用する場合には呉音の「にんげん」ではなく、漢音の「じんかん」と読む習わしになっています。

 例えば、織田信長が好んだ「幸若舞」(こうわかまい:能に似通った語りを伴う曲舞の一種。)の演目の一つ「敦盛」(あつもり)には、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」との句が見えますが、この中の「人間五十年」(じんかんごじゅうねん)も元々は「世の中で過ごした五十年」の意ですが、最近では「人生五十年」つまり「人の寿命は五十年」と誤って解釈されることがよくあります。


 なお、この楽曲と直接の関係はありませんが、荒木一郎の人物像を次に付記しておきます。

 荒木一郎は、この楽曲の雰囲気のとおり心優しい好人物ですが、過去にはその優しさを逆手にとられて何度も不測の被害に遭っています。


 1969年2月7日には、女優志望の女子高生に対する強制わいせつ致傷の容疑で、裏付け捜査もしていない警察に何の証拠もないのに突然逮捕されています。今では、この事件は女子高生とその母親が、当時25歳で俳優として歌手として活躍していた荒木から示談金を強請り取るために仕組んだ狂言の可能性が強いと考えられています。

 拘留中、荒木は一貫して容疑を否認し、28日に釈放されて4月2日に不起訴処分が確定して無罪放免になっています。

 ところが、その間の荒木に対するマスコミのバッシングは凄まじく、冤罪であるにも拘らず、新聞・週刊誌には「ハレンチ歌手」「身から出たサビ」などという誹謗中傷が繰り返されました。

 このため、荒木は当時撮影中の映画「愛奴」の配役から降ろされ、テレビの歌番組からも追放されました。

 それだけではなく、事件から半年後の8月には夫人の元女優榊ひろみはマスコミの誹謗中傷に耐えかねて、置き手紙を残して1歳3箇月の長男を連れて家を出てしまいました。それから2人が戻ってくることはありませんでした。

 仕事が激減した荒木は、その後3年間目立った活動はできず、殆ど自粛生活を余儀なくされました。


 1971年になって漸く芸能界に復帰した荒木でしたが、5年後の1976年には盗作被害に遭っています。

 その前年の1975年に荒木は、ペットの猫が死んだときの悲しみを詠じた「君に捧げるほろ苦いブルース」という楽曲を発表しています。

 この楽曲は、サビの部分で「BAY BAY BAY MY LOVE」との一句を繰り返す斬新な歌詞が特徴でした。

 1976年にフォークグループアリスの谷村新司が「帰らざる日々」と題する曲を発表しましたが、この楽曲の曲調は「君に捧げるほろ苦いブルース」と非常に似通っており、歌詞のサビで「BAY BAY BAY MY LOVE」と繰り返すところは全く同じです。

 当時、谷村の盗作疑惑を取材に来た雑誌記者に対し、荒木は、特に谷村を批判することはせず、「死んだ猫に線香の1本でもあげて欲しい。」と語ったそうです。

 片や疑惑の張本人であった谷村は、自身のコンサートで「帰らざる日々」は、「君に捧げるほろ苦いブルース」に影響を受けて作ったと語ったそうですが、2曲を聴き比べると影響のレベルを遙かに超えていることは明白です。

 荒木は、この問題で谷村に賠償請求などはしていませんが、それは漸く芸能界復帰を果たした荒木が、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあった谷村相手に争う不利を察していたためでしょう。


 更に、翌年の1977年11月に荒木は美人局(つつもたせ)の被害にも遭っています。

 当時30歳のクラブ歌手の女から「レッスン中に卑猥な行為をされた。」として、130万円の損害賠償を請求された事件です。

 当初荒木は非を認めて謝罪していましたが、この時は8年前の女子高生事件とは異なり、警察も裏付け捜査をしたため、荒木の自白は女とその婚約者の暴行・強迫によることが明らかになって、荒木の嫌疑は解消し、逆に女とその婚約者が逮捕されて一件落着となりました。


 荒木一郎、演劇や音楽だけでなく様々な芸能活動で活躍し、時には悪意ある他人に利用されることもあるほどの、才能豊かな好人物です。


 夢が空しく消え去って逆境にある人への応援歌とも言える一曲、今回は荒木一郎本人の優しく柔らかな歌声でご紹介します。



空に星があるように
就像天上有星星

               荒木一郎作詞・作曲・演唱
(起節)
空に星が あるように
浜辺に砂が あるように
ボクの心に たった一つの
小さな夢が ありました

就像天上有星星,
就像沙灘上有沙子,
我的心中只有一個小夢


(承節)
風が東に 吹くように
川が流れて 行くように
時の流れに たった一つの
小さな夢は 消えました

隨著風吹向東方,
隨著河流的流逝,
隨著時間的流逝,
一個小小的夢想就消失了。


(轉節)
淋しく 淋しく 星を見つめ
ひとりで ひとりで 涙にぬれる
何もかも すべては
終わってしまったけれど
何もかも まわりは
消えてしまったけれど

寂寞,寂寞,凝視星星,
獨自一人,被眼淚弄濕,
一切都結束了,
但是我周圍的一切都消失了


(結節)
春に小雨が 降るように
秋に枯葉が 散るように
それは誰にも あるような
ただの季節の かわりめの頃

就像春天的小雨下著,
就像秋天的枯葉飄零,
似乎每個人都有
只是季節變化的時候



 原唱版▼

空に星があるように 荒木一郎(’66)



 現場版▼

荒木一郎 空に星があるように