伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

純純的愛(純粋な愛)



 「純純的愛」(純粋な愛)は、1974年の同名の台灣映画《純純的愛》の主題歌として、台湾の女歌手江蕾(こうらい、ジィアンレイ、1952年-)が演唱した楽曲です。


 この映画は、台湾の著名な音楽家で映画人としても活躍している劉家昌(1940年或1943年4月13日-)が脚本を書き、監督し、更に音楽も自ら作詞・作曲して製作したものです。
 映画の中では、劉家昌自身も劇中歌としてこの楽曲を演唱しています。


 映画の内容は、音楽学校で知り合った男女学生の純愛物語で、あらすじは次のとおりです。
 なお、この映画のヒロイン「純純」と同じ名で、戦前の台灣で歌手として活躍中に日本人の夫と共に結核を患って20代の若さで世を去った、台湾の第2の国歌とも言われる「望春風」のヒットで知られる純純(じゅんじゅん、スンスン:本名劉清香,1914年-1943年1月8日)の印象と重なるところはありますが、直接の関係はありません。

 ピアノを専攻する女子学生の林純純(りん じゅんじゅん)とバイオリンを専攻する男子学生の李愛芬(りー あいふん)は、音楽学校の演奏室で知り合いになります。

 やがて恋人同士となった二人は、その年の冬にスキーリゾートへ遊びに行きます。

 ところが、帰宅してから純純は異状に疲れ果てて倒れこんでしまいます。

 入院して精密検査を受けた結果、純純は末期の白血病であることが判明し、余命いくばくもないことが宣告されます。

 これを知った愛芬は、純純の命を救うため、あらゆる手段を尽くしますが、彼女の病状が好転することは有りませんでした。

 万策尽きた愛芬は、純純に残された短い時間の間に、彼女にすべての愛を捧げて、彼女を世界一幸せにするため、結婚式を挙行しました。

 それから間もなく、純純は幸せな花嫁として美しい思い出を抱いたままで永遠の眠りにつきました。


 この映画が公開されてから33年後の日本で、この物語に良く似た次のような出来事がありました。
 「余命1ヶ月の花嫁」として多くの人々に知られていますが、こちらの方は創作ではなく実在の人物が体験した美しくも悲しい事実です。 

 乳がんのため2007年5月6日に24歳で早逝した長島千恵さんと彼女の恋人赤須太郎氏とが、共に強く明るく過ごした最後の1ヶ月の出来事です。

 この出来事は、2007年の5月と7月にテレビで報道され、同年12月に「余命1ヶ月の花嫁」と題する書籍が刊行されて、乳がん撲滅のための「ピンクリボンプロジェクト」キャンペーンが展開される契機となりました。

 更に2009年には映画が公開され、2010年には舞台公演も上演されています。

 その後、赤須太郎氏は千恵さんの遺志を継いで、彼女の友人や親族と共に書籍の印税を財源にして「ぱんだ会」と称する非営利団体を立ち上げました。

 ぱんだ会の会員は、自分たちの仕事や家事の合間に全国各地を訪問して、乳がん撲滅キャンペーンや乳がん巡回検診などのボランティア活動に携わっています。

 なお、「ぱんだ」とは、生前の千恵さんがパンダに似ているといわれて、パンダのぬいぐるみの横で頬を膨らませておどけていたことに因んだものです。

 蛇足ながら、赤須太郎氏は現在も独身で、妻と一人娘の千恵さんに先立たれて天涯孤独となった彼女の父親と親子のような交流を続けています。


 【赤須太郎氏と長島千恵さんの結婚記念写真】(2007.4.5©chie)


 前置きが長くなりましたが、以下この楽曲の歌詞を解説します。


 歌詞は、二句八聯からなる短いものですが、同音異義語が多用されており、複数の解釈が可能な、劉家昌らしい深遠なものになっています。


 まず、詞題の「純純的愛」とは、映画を知らなければ「純粋な愛」としか訳しようがありませんが、映画の主題歌であることを考慮すると、当然に「ヒロイン純純の愛」とも解しうるもので、ダブルミーニングと考えるのが自然です。
 また、詞中に見える代名詞の「他」と「它」の原義は、それぞれ「彼」と「それ」です。
 しかしながら、この楽曲は多くの歌手によってカバーされていますが、「他」と「它」の一部或いは全部が「她」(彼女)に置き換わっているものが多々あります。
 劉家昌本人の演唱でも、動画の字幕の歌詞は演唱するごとに様々になっています。
 これは「他」「她」「它」いづれも読みは「ター」で同音異義語であることによります。
 そのため、この楽曲は歌い手、聞き手それぞれに、男の立場とも女の立場とも第三者の立場とも解釈できるものになっています。


 なお、詞中に見える「梅花」とは梅の花の意ですが、雪にも寒さにも負けぬ梅花を擬人化してヒロインの純純に擬えたものです。
 梅花は、その逆境に負けぬ強さから、大陸復興を念願していた中華民国台湾の国花に指定されています。しかしながら南国台灣では台南の梅嶺風景區のように標高約500~1100メートル以上の高原地帯でなければ雪と梅の花を同時に見ることはできません。
 そのため、この映画の舞台は、二人が台湾から韓国の音楽学校に留学しており、病窓から梅花が見られる設定になっています。
 蛇足ながら、日本の国花は桜と菊、中共では国花は指定されていません。


 説明なしでは非常に和訳の難しい歌詞ですが、映画の内容を踏まえ、伊賀流得意の文脈判断により、彼女の様子を見守っている第三者の立場で意訳しておきます。


 動画は、主題歌の江蕾版と、劇中歌の劉家昌版をご紹介します。


 後者の劉家昌版の動画の内容は、先日ご紹介した「秋詩篇篇」(秋の詩集)の続編になっており、図書館の司書として働く青年とバレーの練習に励む乙女との淡い恋心と別離の場面での純粋な愛を表現しています。なお、動画冒頭での彼女のセリフには字幕がありませんが、「我要搬家了」(私引っ越ししなければならないの。)です。


(白文)
 純純的愛
            作詞・作曲:劉家昌
純純的愛 不知從那裡來
春去秋來 他切切在等待
純純的愛 他時刻在期待
秋去冬來 終見到梅花又開
縱然是雪花 緩緩飄來
也不能掩蓋 它的嬌艷和可愛
寒冷也遮不了 它的存在
勇敢和堅強 象徵著純純的愛


(訓読文)
 純純の愛
純純の愛 那裡(いづく)より來たるかを知らず
春去りて秋來たり 他(かれ)切切として等待(とうたい)し在り
純純の愛 他(かれ)時を刻して期待し在り
秋去りて冬來たり 終(つひ)に梅花の又開くを見るに到るを
縱然(たとひ)是れ雪花の 緩緩(くわんくわん)として飄來(へうらい)するも
也(ま)た掩蓋(えんがい)する能わざるは 它(そ)の嬌艷(けうえん)と可愛なり
寒冷も也(ま)た遮(さへ)ぎらんとして了(を)へざるは 它(そ)の存在なり
勇敢と堅強との 象徴するは純純の愛なり


(口語訳)
 純粋な愛
純粋な愛 どこから来るのかはわからない
春が過ぎ去り秋が来るまで 彼女は切々として待ち望んでいた
純粋な愛 彼女はいつも楽しみにして待っていた
秋が過ぎ去り冬が来て 終に梅の花がまた開くのを見ることを
例え雪が花のように舞い落ち 緩やかに吹雪いて来たとしても
梅花(彼女)の美しさと可愛らしさを 覆い隠すことはできない
冬の寒さもまた 梅花(彼女)の存在を遮り隠すことはできない
逆境に立ち向かう梅花(彼女)の勇敢さと強さは 純粋な愛を象徴している



 江蕾版▼

懷念江蕾金曲精選集




 劉家昌版▼

劉家昌 - 純純的愛 (官方完整版MV)