パラオ共和国(親日の国)
日本の真南の太平洋上、約300の島から成るパラオ共和国は、1543年、スペインが発見して植民地とし、その後1899年にドイツが買収しました。
第一次欧州大戦時に、日本は日英同盟に基づき連合国側としてドイツに宣戦布告して参戦、南洋諸島を攻略・制圧しました。そして戦後処理をしたパリ講和会議によって、パラオを含む南洋諸島は日本の委任統治となり、1914年から1945年まで日本の施政下にありました。
この委任統治時代に、日本はパラオ諸島のコロール島に南洋庁を置き、サトウキビ、パイナップル、稲作等を持ち込み、缶詰やビール工場を作って雇用を創出すると同時に、道路の舗装、橋や病院等の近代建築物の建設、電話線網を敷設するといったインフラ整備を積極的に行いました。また、公立学校も作り、日本の子供たちと同じような教育を全島の子供たちに受けさせました。
この結果、パラオの人口は2万人から5万人に増え、同国に未曾有の経済的発展をもたらしました。
こうした統治政策で、パラオは原始的な自給自足経済から市場経済へと変わり、財産所有権も氏族から個人の手に移り、近代社会の基盤ができたのであります。
400年におよぶ植民地化の歴史の中、たった30年間に過ぎない日本統治時代が一番良かったと、今も現地の人たちが回顧するパラオ共和国は、世界一の親日国家だと言っても過言ではありません。
もっともパラオのみならず、台湾、朝鮮半島、満州、南洋諸島と、日本が戦前に統治したすべての地域において、このように「内地」の日本と同じ社会基盤を築くことに、何と日本の国家予算の三分の一が支出されています。欧米列強による植民地政策、つまり「現地からの資源搾取」とは、その様相が全く逆だったのであります。
大東亜戦争を通じ、南洋諸島の若者たちも、台湾や朝鮮の若者同様、「お世話になった日本のために」共に戦い、それぞれ2万数千名の尊い命を捧げたことを忘れてはなりません。彼らの御魂は共に戦った日本兵と同じく、靖国神社に祀られています。
日本軍玉砕後、島に戻ったパラオの住民たちが見たのは、焦土と化した島に放置されたおびただしい数の日本兵の遺体でありました。
一緒に汗水流して働いた日本人。一緒に歌を歌った日本人。パラオの人たちは泣きながら、日本兵の遺体を埋葬し墓地を作りました。この墓地は島民の手によって現在も整然と維持され、英霊の遺徳は讃えられています。日本から遺骨収集に行くと、「戦死者は母なる大地ペリュリューに抱かれている。収集しないで静かに眠らせて欲しい」と島民から言われるそうです。
終戦後、米国の信託統治が始まりますが、彼ら米国人が最初にやったことは、日本がパラオに残したものをすべて破壊することでした。畑は掘り返され、発電所を壊し、道路の舗装は剥がされ、校庭の二宮金次郎像は引きずり降ろされました。
日本統治時代毎朝、集まった村人たちが、帝国海軍岡田中将から「美しいパラオを一日も早く自分たちの手で治めるようにせよ」との訓示を受けた、想い出の場所である南洋神社も例外ではありませんでした。
米国は、徹底した反日教育を行いました。歴史の授業では米国製の教科書を使い、「日本人によるパラオ人虐殺事件」があった等と記載して広めようとしましたが、パラオの年長者が「そんな事実は全くない」と完全否定したため、支那や朝鮮とは異なり、歪曲されたその情報がパラオで浸透することはありませんでした。
1994年10月、パラオは米国から独立しました。その独立式典でパラオの国家斉唱の後に流れたのは、何と、日本の国歌「君が代」だったのであります。
パラオの長老たちは、今でも日本のことを「内地」と呼び、次のように語っています。
「日本人は厳しかった。しかし我々に農業とまじめに働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれたのは日本人だった。」と。
昨年4月、天皇皇后両陛下が、戦没者の慰霊のため、10年来の希望であったパラオ共和国を訪問されました。
天皇陛下は、慰霊の前日8日の晩餐会での挨拶で、先の大戦では食糧難や疫病で地元住民にも犠牲が出たことに哀悼の意を表された上で、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力された太平洋諸国の国民に対し、深い感謝の気持ちを表されました。
この晩さん会には、パラオに加え、同じ日本の委任統治時代に戦禍に見舞われたミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の3大統領夫妻が参加しました。
9日、最大の激戦地であったペリリュー島の慰霊にあたっては、両陛下は3箇国の大統領夫妻とともに日米双方の慰霊碑をめぐり、すべての戦没者の鎮魂を祈る姿を改めて示されました。
そして、パラオ全国民が日の丸の旗を打ち振る中、無事慰霊の旅を終えられました。
その日、パラオ共和国ペリリュー州では、建国以来、最大の慶事である両陛下の行幸を、永遠にこの国の歴史に留めるため、議会満場一致の決議により、この日を国民の祝日に定めたのであります。
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