伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

中秋の名月

【月と仙女と兔】


 陰暦8月15夜の満月を「中秋の名月」と称して観賞する「お月見」の風習は、元々は、唐代に始まった習俗と言われています。


 日本では、平安時代にその習俗が伝わり、先ず貴族社会の中から始まって、江戸時代になって徐々に民間へも広まり、現在では、全国津々浦々に、ススキの穂のほか月見団子やサトイモなど満月を連想させる丸いものを供えて、月を見る習慣が定着しています。


 なお、日本では「中秋」とも「仲秋」とも呼ばれていますが、厳密にいうと、「中秋」の方が正しい表現になります。
 「中秋」とは、秋の中日という意味で陰暦8月15日に限定されますが、「仲秋」とは、陰暦8月の一箇月全体を意味し、15日に限定されませんので、「仲秋の名月」では「満月」だけではなく「三日月」や「半月」などでも名月だと思えば、全ての月齢の月が含まれることになってしまいます。


 ともあれ、この名月を望む詩情豊かな風習は、唐代以降古今の詩人の心を動かし、数多くの優れた詩詞が残されています。


 以下、唐代の詩人が感動で綴った傑作のうち数首を、中秋節快樂(中秋節を楽しむ)と題してご紹介します。



【題中秋節快樂】

 


1、李白家的月餅

【静夜思】
牀前看月餅、(ベッドの前に月餅を見つけたが、)
疑是小姐餅。(どうやらこれはmoliさんの月餅のようだ。)
舉頭望山月、(頭を挙げて山の端の月を眺めていると、)
低頭食月餅。(自然に頭が下がって来て、こっそり月餅を食べてしまった。)



2、杜甫家的月餅

【春望】
國破月餅在、(国は荒れ果てても月餅は残り、)
城秋月餅増。(町中に秋が来れば月餅が増えてくる。)
感時月濺淚、(時の流れに心を痛め、月を見ても涙を流し、)
恨別兔驚心。(別れを悲しんで、兔が跳ねるのにも心を驚かされる。)
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3、孟浩然家的月餅

【春暁】
中秋不覺宵、(中秋節の日は、日が暮れたことにも気づかず、)
處處聞搗餅。(あちらこちらで、餅つきの音がするのを聞いていた。)
夜來全家聲、(昨夜は、家族全員の声が夜通し喧しかったが、)
食餅知多少。(一体どれほど多くの月餅を食べたのだろうか。)



4、王維家的月餅

【竹里館】
獨坐混浴湯、(一人だけで混浴温泉に座って、)
飲酒復食餅。(酒を飲んだり餅を食べたりしている。)
深林人不知、(深い林の中なので、誰も知る人はなく、)
明月來相照。(名月だけがやって来て私を照らしてくれる。)



5、柳宗元家的月餅

【江雪】
千山焼鳥絶、(どこの山でも、焼鳥を食べ尽くしてしまい、)
萬徑月餅滅。(到る所で、月餅も無くなってしまった。)
無錢簑笠翁、(金もない蓑笠を被った老人は、)
獨過中秋節!(一人だけで中秋節を過ごすのだ!)



 【雲中明月裡搗餅兔圖】



 十五夜望月
   中唐 王建
中庭地白樹棲鴉
冷露無聲溼桂花
今夜月明人盡望
不知秋思在誰家