ライバル(對手)
私には、物心ついたころから一人のライバルがいた。
私は、心底彼が嫌いだった。
彼の傲慢な態度から、しばしば取っ組み合いの喧嘩にもなった。
鼻持ちならない彼の自慢話や手柄話を聞くたびに、私は彼を越えようと思った。
まだテレビのなかった時代に彼がラジオを自作した話を聞いたとき、私は反射望遠鏡を作った。凹面鏡の研磨から始めて1年以上かかった。
彼が写真の現像焼き付けをしているのを知って、私は更にクエン酸鉄アンモニウムやシュウ酸等を使って白黒写真をセピアやブルーに調色する技術を身に付けた。
医師であった彼が、博士論文やカルテを全てドイツ語で書いていると聞いた私は、漢文や漢詩の読み書きに熱中した。
彼が大小のハーモニカを吹き分けるのを聞いて、私はギターを独習した。
彼が自分の柔道の腕前を自慢するのを聞いて、私は空手を始めた。
医者は人を助けるのが仕事だから偉いのだと言う彼に反発して、私は限られた数の患者だけではなく国家・国民を救う軍人の道を選んだ。
思い起こせば、私のしてきた殆ど全てのことが、彼への敵愾心が原動力となっていた。
その彼が、15年前に心筋梗塞を患い、医者から患者へと立場を変えて、医療業務の第一線から退いた。
それから私は、彼と競うことも喧嘩をすることもなくなった。
妻に先立たれて12年間、一人暮らしをしていた彼が今月永眠した。
神式の葬儀である葬場祭が滞りなく終了して斎主が退場した後、私は喪主代理として親族を代表して挨拶をした。
心の底から嫌っていた彼がいなくなっても、特別な感情などないはずであったが、不覚にも挨拶の途中で双眸に涙が溢れて二度三度と声を詰まらせてしまった。
過去に部下や来賓の前で、3分間講話も含めれば、数千回も演説をこなしてきた私としては生まれて初めての失態だった。
翌日、遺品を整理していると、「家宝」と書かれた箱が出てきた。
どれほど高価なものが入っているのかと期待しながら開けてみて驚いた。
そこには、私が子供のころ作った絵皿や、写真展で入賞した私の作品が掲載された雑誌や、武道大会で貰った賞状・メダル・トロフィーなどがぎっしり詰まっていた。
殆どが成人前の私の物であり、彼に可愛がられていたはずの他の子供達が作ったり貰ったりした物はいくつもなかった。
私は、滲んで見える天空の白雲を見上げて、どれほど高くかつ遠くへ行ったと思っていても、所詮自分が釈迦の掌を抜け出すことのできない孫悟空に過ぎなかったことを悟った。
皇紀2676年10月3日、我が人生最大のライバルであった父は、我が家の守り神となった。
【当家之奥都城(おくつき=墓) 家紋は皇族の証「五七桐」】
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