懺悔文(さんげもん)
懺悔文(さんげもん)とは、仏教典の一つ、華厳経四十巻本の普賢行願品から採った偈文(げもん)であり、懺悔偈(さんげげ)とも呼ばれている韻文で、仏教各宗派の在家信徒が日常の読経に用いているものです。
この偈文は一見、漢詩の七言絶句のような体裁をとっていますが、平仄・押韻などは近体詩の形式にはなっていません。
ただし、各句内の語句の切れ目は、漢詩と同じく2字2字3字となっているので、読み下すのはさほど難しくはありません。
以下、伊賀山人の恥かしきことのみ多かりし青春を回顧しつつ、訓読文と口語訳とを掲載します。
訓読文
我れ昔より造る所の諸[もろもろ]の悪業[あくごう]は、
皆な無始[むし]の貪[とん]瞋[じん]痴[ち]に由[よ]り、
身[しん]語[ご]意[い]従[よ]り生[しょう]ずる所なり。
一切を我れ今[いま]皆な懺悔[さんげ]せんとす。
口語訳
私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは、
すべて始まりも分からない程遠い過去からの、貪りと怒りと愚かさの三毒を原因として、
身体の行い、口の行い、心の行いの三業から生じたものである。
それら一切のことを、私は今全て悔い改めようとしている。
なお、この懺悔文は、元々古代インド語(サンスクリット語やパーリ語)で書かれていたものを後世の人が漢訳したことにより、翻訳された国や地域、宗派ごとに若干表現を異にします。
次に台灣のmoliさんの記事に掲載されている偈文を引用し、その白文と訓読文をご紹介して読者のご高覧に供します。
なお、支那語本来の漢字1字は一音節、つまり読むときの長さは同じですので、漢文を音読する際には、「由 無 始」などのように日本語では「ゆ む し」とそれぞれひらがな1字で表記される漢字は「ゆー むー しー」のように長音で読むと原音に近くなります。
白文
往昔所造諸悪業 [おうせきしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪憎痴 [かいゆーむーしー とんぞうちー]
従身語意滋所生 [じゅうしんごーいー しーしょしょう]
如今佛前皆懺悔 [にょこんぶつぜん かいさんげー]
訓読文
往昔[むかし]より造る所の諸[もろもろ]の悪業[あくごう]は、
皆な無始[むし]の貪[とん]憎[ぞう]痴[ち]に由[よ]り、
身[しん]語[ご]意[い]従[よ]り滋[ますます]生[しょう]ずる所なり。
如今[いま]佛前[ぶつぜん]に皆な懺悔[さんげ]せんとす。
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