案山子
【島根県津和野の冬景色】
「案山子」(かかし)は、日本のシンガーソングライター・さだまさしが作詞・作曲して1977年11月25日に発表した楽曲で、さだの代表作の一つです。
詩の中には登場人物についての直接的な言及はありませんが、その内容は都会で一人暮らしをする「誰か」(弟か妹と解釈できる)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄(言葉遣いから姉ではない)が気遣うメッセージとなっています。
元々、この詩にイメージされている「誰か」とは、さだの実弟の佐田繁理(さだ しげり、1954年12月13日 -、現さだ企画代表取締役社長 )のことです。
彼は、長崎南山高等学校卒業後の1973年に中華民國國立台灣大学(旧大日本帝國臺北帝國大學)へ留学するため、18歳で単身台湾に渡りました。
さだによれば、この曲は日本へ里帰り中の弟と一緒に、大分から福岡へ列車で移動する際に見た景色が切っ掛けとのことです。
その日は雪が降っており、車窓から雪の中に案山子がぽつん立っているのを見たさだは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけました。
繁理は鈍い反応しか示しませんでしたが、さだはその風景と、自身が経験した都会での一人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついたといいます。
なお、さだによれば、「曲の原風景は津和野(島根県)、インナースリーブの表紙の写真の撮影は琵琶湖のほとり」とのことです。
蛇足ながら、「案山子」とは、田や畑などの中に設置して鳥などの害獣を追い払うための等身大の人形やそれに類するなんらかの仕掛けのことです。
また、詩の中で、「手紙が無理なら 電話でもいい」という句がありますが、この句を理解するには、当時の社会情勢を知っておく必要があります。
当時、高度経済成長期ではありましたが国民の大多数は貧しく、実家を離れて都会の大学に通う学生は経済的にはぎりぎりの生活をしていました。
家族への連絡手段として、今のように携帯電話やスマホなどは有りません。
公衆電話は有りましたが、東京から九州への電話料金は10円でたったの1~2秒なので、10円玉を100個くらい握りしめて行っても3分ほどしか話すことはできません。
その僅か3分間の電話代1000円は当時の学生にとっては大金で、ほぼ3日分の食費に相当しました。
従って、余程緊急のことでもなければ電話を掛けることなど許されず、時間をかけて手紙を書くのが普通だったのであります。
案山子:稻草人
作詩・作曲:佐田雅志(さだまさし)
元氣でいるか 街には慣れたか 過得還好嗎? 習慣那個城鎮了嗎?
友達出來たか 交到朋友了嗎?
寂しかないか お金はあるか 寂寞不寂寞呢? 身上還有錢嗎?
今度いつ掃る 下次什麼時候回來呢?
城跡から見下せば 蒼く細い河 從舊城址俯瞰 有藍色小河流過
橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突 橋畔旁酒廠的煉瓦煙囪
この町を綿菓子に染め拔いた雪が消えれば 覆蓋這城鎮如棉花糖般的白雪融化
お前がここを出てから初めての春 這是你離開這裡後的第一個春天
手紙が無理なら 電話でもいい 如果沒空寫信 打通電話回來也行
「金賴む」の一言でもいい 就算只說一句「寄錢來」也好
お前の笑顏を待ちわびる 讓期盼看到你笑容的母親
おふくろに聽かせてやってくれ 聽聽你的聲音吧
元氣でいるか 街には慣れたか 過得還好嗎? 習慣那個城鎮了嗎?
友達出來たか 交到朋友了嗎?
寂しかないか お金はあるか 寂寞不寂寞呢? 身上還有錢嗎?
今度いつ掃る 下次什麼時候回來呢?
山の麓煙吐いて列車が走る 吐著煙的列車在山麓奔馳
木枯らしが雜木林を轉げ落ちて來る 寒風吹落雜樹林的樹葉
銀色の毛布つけた田圃にぽつり 覆蓋銀色毛毯的田圃中
置き去られて雪をかぶった 案山子がひとり 矗立著一尊覆滿白雪孤零零的稻草人
お前も都會の雪景色の中で 你在都市的雪景中
丁度 あの案山子の樣に 就像那個稻草人一樣
寂しい思いしてはいないか 會不會感到很寂寞?
體をこわしてはいないか 有沒有搞壞身體呢?
手紙が無理なら 電話でもいい 如果沒空寫信 打通電話回來也行
「金賴む」の一言でもいい 就算只說一句「寄錢來」也好
お前の笑顏を待ちわびる 讓期盼看到你笑容的母親
おふくろに聽かせてやってくれ 聽聽你的聲音吧
元氣でいるか 街には慣れたか 過得還好嗎? 習慣那個城鎮了嗎?
友達出來たか 交到朋友了嗎?
寂しかないか お金はあるか 寂寞不寂寞呢? 身上還有錢嗎?
今度いつ掃る 下次什麼時候回來呢?
寂しかないか お金はあるか 寂寞不寂寞呢? 身上還有錢嗎?
今度いつ掃る 下次什麼時候回來呢?
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