伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

「生きることの意味」とは

【カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)1875.7.26~1961.6.6】


 カール・グスタフ・ユングは、スイスのトゥールガウ州ケスヴィル出身の精神科医で、元々は、医師として精神科医療に従事していましたが、後に「無意識(深層心理)」について研究を深め、通称「ユング心理学」と呼ばれる分析心理学の理論を創始したことで、世界的に有名な人物です。


 ユングは、スイスのチューリッヒで85歳の生涯を閉じるまで、人の心はどのように成り立っているのか、我々の住む世界に価値はあるのか、生きることに意味はあるのかなど様々な心理学的・哲学的疑問について、未開民族の神話や宗教や風俗習慣のほか、あらゆる時代あらゆる文化の芸術や民話などを研究し、東洋の思想の影響も受けながら、次々に思考を凝らして思索を深めていきました。


 「生きる意味」については、ごく一部の科学者や芸術家、或いは宗教人などで、ライフワークの決まっている人であれば、その仕事こそが、「生きる意味」であると言うかもしれません。
 しかしながら、そのような方々が行う「発明・発見」であるとか「作詩・作曲」であるとかは、決して他人にとっての「生きる意味」にはなりません。
 また、その仕事が完成してしまうと同時にその方々の「生きる意味」そのものも消え失せてしまいます。


 要するに、万人に共通し、かつ将来に亘って永久不変の「生きる意味」などはないと考えるのが妥当でしょう。
 もしあるとすれば、人それぞれの心の中、即ちユングの言う「無意識」つまり「深層心理」の中に存在するものなのでしょう。


 「生きる意味」を各人の深層心理の中から探し出すことは極めて困難なことです。
 或いは、無意識の領域にある事柄については、敢えて探し出して理解する必要のないものなのかもしれません。


 全ての人が、「生きる意味」を理解し意識して生きているわけではありません。


 殆どの人は、そのようなことには無関心であるか、或いは生きることに意味はあるという前提の下に生きているのでしょう。


 「生きる意味」とは、生きてさえいれば、偶々、見つけることができるかもしれないという程度の不確かな代物なのかもしれません。


 偉大な心理学者でもあり思想家でもあったユングですら、終生、生きることに意味があると断言することはありませんでした。


 ユングが晩年に著した「自伝」は、次の言葉で締めくくられています。


 「生きることには、意味があるとも言えるし、意味がないとも言える。私は、両者の戦いの末に、意味があるという結論が勝つことを切望している。」


 ユングが80年考えても分からなかった「生きることの意味」が、我々にもそう簡単には分かるはずもありません。


 人は、意味があるから生きているのではありません。
 意味の有無にかかわらず、生きていることそのものに価値があるのです。


    You may say that life has no meaning,
    But I still believe it's worth living.