伊賀の徒然草

伊賀名張の山中に閑居して病を養う隠者の戯言です。

足を踏み外した青大将


 かつて、貸ビルの一室で事務所を開いていたころ、助手のタカ君が手伝いに来ていました。


 このタカ君、かなりなヘビースモーカーでしたが、この建物は全館禁煙のため、廊下の突き当たりの非常口を出た屋外の喫煙所を利用していました。喫煙所とはいっても、非常階段の下に灰皿が一つ置いてあるだけで2階への階段が屋根代わりというお粗末なものですので、上からは雨やゴミなど様々なものが降り落ちてきます。


 ある初秋の薄曇りの日、当事務所の圧倒的な仕事量の少なさにヒマを持て余したタカ君、例によって事務室を抜け出してゆきました。
 ややあって、喫煙所のほうから突然、「ぎゃ~~!!!」という断末魔の悲鳴が、沖縄かどうかすれば台湾にまで届きそうなほどの大音声でビル中に響き渡りました。


 私は、台湾国際緊急援助隊の到着を待つことなく直ちに現地に急行しました。
 喫煙所では、タカ君が腰を抜かして尻餅をついており、その足元を1匹のヘビが草叢目指して一目散に逃げてゆくところでした。そのヘビの横縞模様から明らかに青大将の子供とわかりました。


 (青大将は、昔は古い家の天井裏に住み着いてネズミを捕えて食用にしていたので、別名「ネズミ取り」とも呼ばれていたヘビで、毒はなく気立てがよいので人畜に特に害はありません。しばしば高いところからわざと落下する習性があります。丸のみした卵を割るためと昔の人は言っておりましたが、真偽のほどは不明です。)


 常日頃、危機管理の重要性についてタカ君に教育している所長としては、直ちに状況を把握し負傷者を救護し再発防止に万全を期するのでなければ、鼎の軽重を問われかねません。


 タカ君を落ち着かせるため、静かに、しかし、しっかりとした口調で尋ねました。
「おい、大丈夫か? 怪我はないか?」


 タカ君はやや上擦った声で答えました。
『だ、大丈夫っス! 頭の上にヘビが落ちてきてちょっとビックリしただけっス!』


 状況は正確に把握しなければなりません。
「いや、お前のことではない。足を踏み外して落ちてしまったヘビに怪我はないか?」


『し、知らないっス! そんなこと~ ヘビに聞いてください。』
と、憎まれ口をたたきながら立ち上ろうとしたタカ君、どこかをぶつけていたようで、
『あ、痛たたた~!』
と、泣き声をあげます。


「大丈夫か? 足の骨でも折れていなければよいが?」


『足は大丈夫っス。先っき、転んだ時に灰皿の上に乗っかかってケツが痛いだけっス。』


「いや、お前のことではない。今しがた立ち去ったヘビのほうだ。」


『んも~、所っ長~、冗談は顔だけにしてください! そんなこと知らないっス!! 第一、ヘビに足なんかないじゃないっスか~!!!』


 煙草も減らなければ口も減らないタカ君でした。


 「女心と秋の空」、初秋のこの時期、一般に晴れる日が多いのですが、驟雨前線の影響により突然曇ったり雨が降ったりします。
 天気予報であれば、何でもありの「晴れ時々曇り、所により一時雨が降るでしょう。」といった表現をよく耳にします。時には、雨ではなくヘビが降ることもあるようです。


 備えあれば憂いなし。天候不順の候、何が降ってきても困らぬよう、各位、傘の準備をお忘れなく。