『サボテンの花』は、フォークグループ:チューリップのリーダー財津和夫が作詞作曲しボーカルも務めて、1975年2月5日に発表した楽曲です。 この曲の内容は、財津自身の失恋体験が元になっており、当時付き合っていた女性が財津の家で靴下などを洗濯したり、花などを活けていたことを思い出して作ったものです... 続きをみる
音楽のブログ記事
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「ここに幸あり」は、1956年当時18歳の新人歌手大津美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )が、同名の映画の主題歌として発表し空前の大ヒットとなった楽曲です。 作詞は『酒は涙か溜息か』などのヒット曲で戦前から知られていた高橋掬太郎(たかはし きくたろう、1901年(明治34年)4月... 続きをみる
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【襟裳の春】 楽曲「襟裳岬」は、演歌系、フォーク系などジャンルを問わず実に多くの歌手がカバーしています。 今回は、ポップス系がお好きな方のために、予てよりお馴染みの蔡幸娟小姐に登場して頂きます。 小姐のアルバムの中で、「三語一體」シリーズというものがあります。 これは、日本の曲を、台灣國... 続きをみる
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【襟裳岬歌碑(右が島倉千代子、左は森進一の歌碑)】 襟裳岬の展望台の横には2つの歌碑があります。 右側は、「島倉千代子」の「襟裳岬」の歌碑で、この岬が有る「幌泉(ほろいずみ)町」が改称して「えりも町」となった記念として1971年(昭和46年)に建立されました。 左側は、「森進一」の「襟裳岬」... 続きをみる
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【爆死した妻の為に喪に服す永井隆博士(昭和21年1月)】 20年ほど前、長崎市の永井隆記念館を訪れた折、偶々、博士の娘の茅乃(かやの)さんにお会いして、博士の事績について親しくお話を聞く機会を得ました。 なお、茅乃さんは、被爆時3歳、博士が永遠の眠りについたときでも8歳でしたので、その記憶は、... 続きをみる
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